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2024年11月11日 イタリア・ペルージアで作った私の第1号バイオリン
私がイタリアで作った第1号バイオリンは上記の写真に写っているものです。窓から見える建築物は絵画ではなく、本物のペルージアの建築物です。
クレモナのバイオリン製作学校に入れなかった私は1981年9月にイタリア中部のペルージアにある語学学校に入学します。
イタリア語の授業がない時は独学でバイオリンを作り始めました。作業机は折り畳み式のブラックアンドデッカー製の簡易的なものでした。
作業机の右上に写っている木製の長さ20cmほどの西洋カンナが、平面出しをしたり、表板や裏板のハギをする時に使った道具です。
作業机の左に並んでいるのは日本から持参した彫刻刀の丸ノミです。床に写っている黄色いポリバケツには砥石が入っています。
その気になればバイオリンはこれだけの道具で作れることを証明しています。バイオリンの接着は膠を使い、紐で
くくって付けました。
ペルージアでは3ヶ月で3本の白木バイオリンを作りました。
1本目ができた時、ローマに行き、当時のイタリアで一番有名なマエストロであった ジュゼッペ・ルッチの指導を仰ぎました。
2ヶ月後には2本目、3ヶ月後は、3本目のバイオリンを持って彼のアドバイスを受けるためにローマの彼の工房を尋ねました。
その後、彼の元に弟子入りしたいと申し出ると「忙しくてそんな時間はない」と断られ「クレモナに私の弟子がいて彼なら教えて
くれるかもわからない」と言って紹介状を書いてくれました。その弟子というのがジョ・バッタ・モラッシーでした。
モラッシーの工房もその時すぐには弟子入りできませんでしたが、モラッシーの弟子のステファーノ・コニアの所に弟子入りできました。
この弟子入りには私の先輩にあたるクレモナ在住の内山昌行さんが手助けしてくれました。
このようにして幸運なことが続き、私のバイオリン修行は始まりました。
ステファーノ・コニアの工房で作った5本目くらいのビオラをラヴェンナの
2024年11月30日(土)13:30〜15:30
詳細と申し込みは日本イタリア会館へ http://italiakaikan.jp/culture/seminar/index.html
この日のセミナーでは私達4人の職人の色々な体験談を話します。質疑応答の時間もあるので来場者の関心の
あることはどんなことでもお話しできます。私たちの楽器を使っての馬渕清香さんの演奏もあります。
ぜひお越しください。
2024年9月14日 日本イタリア会館と私
私がえ初めて京都にある日本イタリア会館を訪れたのは1981年の夏、今思い返すと43年前のことになります。
前年の1980年に1人で、テントとバックパックを抱え、ヨーロッパ中を廻りました。そして、イタリアのバイオリン製作学校の入学手続きを完了して帰国しました。
その後の1年間は滞在費とイタリア語を話せるようになること、この2件が必要課題でした。
その頃の日本は建築ブームで一番お金を稼げるアルバイトは建築現場の肉体労働でした。私はこの1年間ブロックの運搬業社で働きました。毎日何百個のブロックをトラックに積み、現場に運びそれらをトラックから降ろすのが仕事でした。仕事なのでそれらを短時間でこなさなければならず、右手で2個のブロックを挟み込み左手で同じように2個のブロックを挟み込みます。つまり1回で4個のブロックを移動させなければなりません。10p幅のブロックならそれほど重くはないのですが、時には15p幅のブロックの時もあり、大変な重労働でした。
アルバイト初日は100個ほどのブロックを運んだ時に、軍手は破れ私の指の皮もやぶれ、指に力が入らなくなり「そんなことでは仕事ができない、お前、もう今日は帰れ」と怒鳴られました。
その後は厚手のビニール手袋に替え、私の指の皮も少しづつ強くなり、来る日も来る日もブロックを運びました。この重労働を1年やると手の指や、肩や腰や体全体が丈夫になり、多くの労働賃金を受け取りました。
そして8月に日本イタリア会館で夏期集中講座が開催されていたので私はそれを受講しました。白水社のテキストを用いた授業で、生徒は6〜7人だったように思います。その生徒の中の一人にバイオリニストの鷲尾かおりさんがいて、彼女は京都市立芸大を卒業してローマのサンタチェチリア音楽院に留学するための受講でした。
今から思いかえすとその時、日本イタリア会館でイタリア語を受講せずにイタリアにいったならどうなっていたかと思うと、冷汗が出ます。
私の12年間のイタリア修業は日本イタリア会館のおかげで、大変充実したものとなりました。
日本に帰国してから、10年に一度くらい私がイタリア会館のセミナーに呼んでもらったりしてイタリアの話を講演しています。
今回のcremona four(4人のバイオリン職人)のセミナーもそれらの一連だと思っています。
今回は職人の話だけでなく、バイオリニストの馬渕清香さんが私たち4人のバイオリンを使って演奏してくれます。
セミナーの案内は日本イタリア会館のHPをご覧下さい。
「バイオリンに魅せられて〜4人のバイオリン職人と演奏家で奏でる夢の世界」
2024年11月30日(土)13:30〜15:30
案内ページ http://italiakaikan.jp/culture/seminar/index.html
私のHPをご覧の人で、イタリアに関連する情報を知りたい方はぜひ、日本イタリア会館を利用したらよいと思います。
もし若者でこれからバイオリン職人になりたい人、料理人になりたい人、画家になりたい人、建築家になりたい人、その他このような方はここでイタリア語をよく学び、その後留学されたら良いと思います。
そのほかイタリアに関係することなら、ここは、確かなイタリア情報が得られる機関です。私のようなイタリア語が全く話せなかったものでも、イタリアに行って多くのことを学べたのは日本イタリア会館に通ったことから始まっています。
日本イタリア会館は日伊両国の学術および文化の普及を目的とした日本を代表する、日本で一番歴史のある協会です。
日本イタリア会館HPはこちらです。http://italiakaikan.jp/index.html
2024年8月4日 ビオラ製作
今年の夏は猛暑で仕事はしていましたが、7月のトピックスはお休みさせていただきました。
枚方工房の庭では水やりの時に葉っぱや枝にセミの抜け殻を発見します。例年はクマゼミが多く大変うるさいのですが、
今年はクマゼミの抜け殻はあるものの、どこかへ飛んで行っているようです。アブラゼミばかりが庭で鳴いています。
現在、2本のビオラを注文いただき、時間をかけてゆっくりと製作しています。その他に気が向けばバイオリンやチェロや
弓を作っています。
下の写真の1本はアントニオ・ストラディバリモデルのビオラです。
2024年6月9日 バイオリンと自転車
この写真はイタリア中部の町Perugia、丘の上にある広石畳が敷き詰められた広場です。この町は丘の上にあるので
住民は坂道だらけなので自転車に乗っている人は誰もいません。楽しそうにロードレーサーに乗っているのは当時27歳の
私です。体重も今より25kgほど少なく痩せていて、今となっては信じられないくらい身軽でした。
写真を見る限り、どこかのドラ息子がイタリア生活を楽しんでいるように見えますよね!
実はこの時、今後どうなるのかと大変不安な時でした。しかし写真では不思議に不安は微塵も感じられません。
1981年、クレモナのバイオリン製作学校から届いた入学願書を握りしめ、既定期日に既定の場所に行きました。
学校の事務局では「今年入学する日本人は決定しているので、あなたは試験を受けることはできません」と言われ
ました。日本ではありえないことです。いきなりイタリアの洗礼を受けました。仕方ないのでクレモナの町のどこかに
弟子入りしようと探しましたが、どこもなくイタリアのPerugiaの語学学校に入学することにしました。
Perugiaには4ヶ月間滞在しました。初めの2ヶ月は学校に通っていましたが、そこで手持ち資金が底をつき授業料を
払えず学校を追い出され、ただの観光旅行者となりました。急に自由時間が増え自転車に乗り始めました。
隣の村のトラジメーノ湖は、確かそこを一周すると100kmほどあり、地元のサイクリストと一緒によく走りました。
今から思うとこの時、自転車がなかったら悶々と考えるばかりで不安な状態に陥るところですが、自転車に乗って汗を
かくことで気持ちを安定させていたのだと思います。
クレモナ在住の先輩、内山さんの紹介で1982年の1月ごろステファーノ・コニアの工房に弟子入りできることになり、
クレモナに行くことになります。クレモナでは、C.C.クレモネーゼ(クレモナ自転車クラブ)に入り、その後も
イタリアの自転車愛好家たちと一緒に走っていくこととなります。
日本から持って行ったロードレーサー
なぜ私がロードレーサーをイタリアに持ってきたかは子供のころからの話とつながっています。
私が小学4年生の時、1964年東京オリンピックが開催されました。私は京都に住んでいたので実際のオリンピックは
テレビでしか見ていません。オリンピックが終わって一年後くらいに東京オリンピックの映画が京都の公民館で
公開されました。私はそれを父親と見に行き日本選手団の活躍を見ました。柔道、陸上、ボクシング、バレーボール、
重量挙げなどで日本選手が金メダルを取っていました。映画終了後、父親が「どれが良かったか」と聞いて
きたので私は「自転車が一番良かった」と答えました。すると父親は意味が分からず「そうか」とだけ返事していました。
日本では自転車競技は人気がなく、ロードレースの試合ではイタリア人が優勝していました。
それから56年後、第2回東京オリンピックが開催されたとき、テレビの深夜放送で1964年の東京オリンピックの映画が
再放送されました。それを見て56年前に私が見た映像がところどころ思い出されました。
その時もやはり自転車競技の場面が一番良いなと同じことを思いました。
市川崑監督のドキュメンタリー映画ですが、自転車ロードレースの映像は日本の田園風景の田んぼ、案山子のなかを
走りぬける大集団の躍動感があり感動を呼び起す映画作品でした。
その後、高校生になり、1970年大阪万博が開催されました。高2の私は友達と万博に行きました。会場に着くと驚くほど
たくさんの来場者が来ていました。アメリカ館やソビエト館は長蛇の列で、何時間も待たなくてならず、私たちは人の
少ないパビリオンを探しました。するとイタリア館は待ち時間なしで簡単に入館できました。
イタリア館内では自転車の展示が大きくされていて、ジーロ・ディ・イタリアの紹介や、ファースト・コッピや
ジーノ・バルタリの大きな写真パネルが飾られていて雄大なドロミーテの中を走る自転車レースの写真は、当時高校生
だった私を感動させるには十分でした。
そして本物の歴代のイタリアチャンピオンが使っていたロードレーサーなども展示されていました。
私はいつかこんな自転車に乗って、この写真パネルに映っているドロミーテを走りたいなあとぼんやりと思いました。
夢見るというよりもっと可能性は少ないような気持ちでした。まさか30年後に何十個もの峠を走破できるとは思って
いなく、夢以上のことが実現できました。
このように私の人生では東京オリンピック、大阪万国博覧会、もっとさかのぼれば、中学生の時に親に買って
もらったサイクリング自転車が「片倉シルク号」で、この自転車は知る人ぞ知る、東京オリンピックで大宮選手が使った
同じメーカーのものだったことなど事あるごとに自転車と関わっています。高校生の時は3年間自転車競技にのめり込み
結構良い成績をあげていました。国体へも出場し、インターハイでは銅メダルを受賞しました。
この時期はイタリアのハイレベルな自転車競技の事は全く知らなかったので、あわよくばイタリアでも自転車の選手として
活躍できれば良いと思っていたのかもわかりません。
バイオリン修行のためイタリアへ行くとき、上記に書いたようなことで私としては当たり前のように自転車を持参しました。
出発の際、私の弟は持っていたロードレーサーを私にプレゼントしてくれました。この自転車のフレーム製作者は、
当時イタリアのデ・ローザで修行を終え日本に帰国した長澤義明氏でした。イタリアに行った最初の頃はこの自転車に乗って
多くの自転車仲間と知り合いになりました。このことによりクレモナの生活も困った時は色々な人が私を助けてくれました。
私が所属していたクレモナ自転車クラブは当時100名以上の会員がいました。私はその中でも結構自転車が速く走れた方で
すぐに人気者となりました。イタリアでは仕事にせよ遊びにせよ何かできると‘BRAVO’とか‘GRANDE’とか言われ
注目され存在感が増します。弟子入りした親方のステファーノ・コニアもクレモナ自転車クラブ(c.c.クレモネーゼ)に
入っていて日曜日の午前中は皆で70km~80km山の中を走るのですが、当時親方のコニアは体重が85~90kgあり、私は
体重62~3kgで峠に差し掛かると断然私の方が有利となり、親方のサドルを片手で押し上げながら走りました。
そんな訳で私は‘TAKAMOTORINO’(小型エンジン付きのTAKAO)と呼ばれ、40年経った今も`TAKAMOTO’と
呼ばれています。自転車のおかげで親方ともすぐに良い関係となりました。
その後、私の宝物であるロードレーサーはあろうことか、イタリア滞在中、頑丈なカギをかけた地下倉庫の中にしまって
おいたにもかかわらず、溶接機で裁断されあっけなく盗難にあい戻ってきませんでした。
そこで私はクレモナの町のフレームビルダーFranco Priori の作った自転車に乗ることになります。
5階のアパートの住んでいましたが盗難に遭ってからは注意をして、毎回自転車を担いで部屋の中に入れることに
しました。
クレモナのフレームビルダーFrancoPrioriと私 |
サイクリング途中でのBARでの休憩タイム |
私の自転車関係のyoutube ◆木の自転車 ◆ドロミーテ・アルプス自転車ヒルクライム |
2024年5月4日 第14回関西弦楽器製作者協会展示会終了しました
展示会無事終了しました。多くの御来場者の皆さまありがとうございました。展示会前日まで雨でしたが当日は快晴となりました。
今年、私はバイオリン2本、チェロ1本、コントラバス1本(5弦)出展しました。
演奏家 バイオリン 堀江 恵太 バイオリン 谷本 沙綾 ビオラ 前山 杏 チェロ 吉田 円香 コントラバス 小島 琳太郎 |
毎年出展参加している「楽器弾き比べ」では、今年も私のバイオリンが1位に選ばれました。聴衆による審査なので出展参加者の私としては
自分の好みの音うんぬんより、多くの人々にどう受け止められているかを知る機会です。インスタやfacebookに何かを投稿して「いいね!」
の評価が気になるのと同じで、投稿者と楽器試奏会に出展するバイオリン職人は同じような気分だと思います。
関西フィルハーモニー管弦楽団 アソシエイトコンサートマスター堀江 恵太氏 |
バイオリニスト谷本 沙綾さん |
今回の展示会のテーマは低音楽器でチェロが13台、コントラバスが5台展示されました。
第14回目の展示会が終わって思ったことは長く続けることにより、少しづつ楽器展示会としても、体をなすようになり、多くの来場者が
来られるようになりました。この展示会を始めたころの十数年前のことを思えば夢のような状態です。
これもひとえに私たちの関西弦楽器製作者協会を応援してくださる方々のおかげで、このように大きな展示会が実現できていると
思います。この場を借りて、関係者各位に御礼申し上げます。
来年の大阪市中央公会堂の5月連休日は抽選に漏れてしまい、2025年は4月19日(土)20日(日)に開催が決定しました。
初代会長は岩井孝夫、2代会長は馬戸建一、3代会長は藤井 勉、4代会長は岸野 大、そして今回の展示会の終了をもって
5代会長は清水陽太が務めることになりました。
この場をもってご報告申し上げます。
2024年4月14日 第14回関西弦楽器製作者協会展示会
5月2日(木)3日(金)大阪市中央公会堂にて第14回関西弦楽器製作者協会展示会開催します。
今回、私はバイオリン2本、チェロ1本、コントラバス1本出展します。もちろん弓も私が制作したものを試奏用として出展します。
今年の展示会のテーマは「低弦」で多くのチェロが出展されます。コントラバスも3人の製作家が作ったものが出展されます。
例年なら5月ごろに藤の花は咲くのですが、今年はいつもより2週間ほど早く咲き始めました。一昨年前は私の職人歴40周年記念で
3ケ月間「バイオリン工房クレモナ自由見学会」をしましたが、今年は4月中頃から5月中頃までの1ヶ月間一般公開いたします。
弦楽器が好きな方、植物が好きな方、自転車やカヌー、バイクが好きな方、またどれにも属さない方。自由見学を行っていますので、
このHPの 営業カレンダ―をご覧になり、事前予約をとってお越しください。
K氏から注文いただいたビオラ製作始めます |
2024年5月展示会出展のチェロ作っています |
よく響くビオラ古材の裏板 |
2本のバイオリン製作を同時進行 |
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馬渕 清香 MABUCHI SAYAKA 3歳よりヴァイオリンを始める。全日本学生音楽コンクール第1位。桐朋学園大学卒業後、
ヴァイオリンを小国英樹、原田幸一郎、工藤千博、田辺良子 各氏に師事。大阪府出身。 ホームページ |
永ノ尾文江(ヴァイオリン)EINOO FUMIE 大阪出身。桐朋学園女子高等学校を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科を最高成績で卒業後 |
2023年9月25日 秋の展示会に出展する楽器 製作中
暑い夏もようやく峠を越し、朝夕は涼しくなりました。今日9月25日は湿度が43%と大変からっとした気持ちの良い一日です。
秋の展示会用にはバイオリン、ビオラ、チェロを製作中で、ニス塗りの段階です。
バイオリンは数年前からは始めたスペシャルバイオリン、私の中では特別なバイオリンです。価格は120万円と少し高くなっています。
枚方津田古民家の生活も11年目に入り、庭には多くの草花、abeterosso(アベーテロッソ)、イタリアのカエデなども大きく育ってきました。
毎朝、庭の草木に水やりをしていると、植物と会話ができるようになってきました。小さな池があるのでトンボやカエル、鯉、水すましなどが
いて自然環境たっぷりです。 この自然が私を癒してくれるので仕事も以前よりはかどるようになりました。
今年の年内の4つの展示会のお知らせ
◆ 関西弦楽器製作者協会主催 「第3回完全予約制展示会」 11月21日(火)〜26日(日) 会場La
Campanella(大阪市中央区大手通2-19 2F)
(私はバイオリン、ビオラ、チェロを出展します。) 詳細・予約は協会HPで ここをクリック
◆ 白川総業主催 「弦楽器店2023」 11月10日(金)11日(土) 会場(株)明治屋 京橋本社ビル (東京都中央区京橋2-2-8明治屋京橋ビル7F)
(私はバイオリン1本出展します)
■ 開催予定:関西弦楽器製作者協会主催 「第1回東京での展示会」 12月1日(金) 会場 イタリア文化会館東京(東京都千代田区九段南2-1-30)
◆ バイオリン工房クレモナ主催 「第2回クレモナ派4人の展示会」 12月に高麗橋工房で開催予定 ニコラ・ラッザリ、伊東 渚、菊田浩、岩井孝夫
2023年8月1日 バイオリン工房クレモナ見学
当工房見学会行っています。希望の方は事前にメールか、電話で連絡してからお越しください。
枚方工房 tel 072-859-6400 メール 高麗橋工房 tel 06-6203-3334 メール
2023年7月14日 チェロ製作
チェリストガスパール・カサドが愛用していたチェロを京都市が所有しています。25年ほど前に京都市交響楽団のチェコのチェリストが
このチェロの魂柱と駒を作ってほしいと依頼がありました。一週間ほど預かったので、ボディの寸法やf孔や渦巻など、特徴的な部分を
写真に収めました。事細かく寸法取りしたのでそれをモデルに何本かこのチェロを作りました。
今年新たにピエトロ・グアルネリ(ヴェネツィア)このカサドのチェロをモデルにして、チェロを製作しています。
2023年6月4日 超軽量RIBONIチェロケース
2023年5月9日 関西弦楽器製作者協会第13回展示会
第13回関西弦楽器製作者協会展示会 無事終了いたしました。多くのご来場ありがとうございました。
また楽器の展示以外にも、ミニコンサート、楽器弾き比べがあったり、とても進行の難しいイベントを開催していますが、
朝日放送アナウンサーの堀江政生さんにご協力いただいているのでとても充実した展示会となっています。
弾き比べでは私のバイオリンが今年も選ばれ、とてもうれしかったです。来年も良い楽器を作って出展したいと思っています。
今年の演奏会はバイオリン堀江恵太さん、バイオリン谷口沙綾さん、ビオラ菊田萌子さん、チェロ吉田円香さんにご出演
願いました。また展示楽器の試奏演奏も兼ねていただきました。
展示会も会を重ねるごとに、充実してきて大阪のクラシック界のひとつに定着してきたように思いました。
多くの皆様のご支援、ご協力に感謝いたします。
2023年5月1日 5月2日3日関西弦楽器製作者協会第13回展示会に出展します
私はヴァイオリン2本、ビオラ2本、チェロ1本、弓6本を出展します。
バイオリンのモデルはパガニーニが使っていたカノーネモデルです。枚方の工房に置いてあります。
予約していただければいつでも試奏可能です。
2023年3月27日 バイオリン完成
このバイオリンは注文主の人が、長年使っているモダンイタリーのバイオリンと同じ寸法の楽器を作ってほしいとのことでした。
ネックの傾斜角度や横板の厚み、モデルや渦巻の形状なども、とにかく演奏した時に違和感のないものが欲しいとのことでした。
そのバイオリンが1年かけて完成しました。
5月には大阪市中央公会堂での関西弦楽器製作者協会展示会もあり、急いで出展楽器を完成させなくてはなりません。
最近は忙しいながらも、楽しみながら楽器製作をしています。
2023年2月26日 バイオリンニス塗り
昨年2022年に注文いただいたバイオリンのニス塗りほぼ終了しました。このバイオリンはオーダー主が枚方工房に来られ、私と
一緒に数多くある材料棚から気に入った虎杢のカエデを見て、また音を叩きながら響きの良い材料を選んだものです。
2023年1月30日 ビオラ完成と白木バイオリン完成 柱組 瓦ふき バイオリンデザインの焼き板壁のガレージ
今年、最初の完成した楽器ビオラです。
去年から作っていたバイオリンが白木で完成しました。今日からニス塗りが始まります。
◇自作のバイクガレージ作り
10年前に枚方の古民家を購入したのは、今やっている大工仕事をやりたかったからです。自分の思うように自分の住まいを
使い勝手の良いように改造していくのはとても楽しいことです。イタリアのクレモナに住んでいた時に掘りごたつなどを作っていました。
ここで紹介する大工仕事は、去年新しく買い替えたバイク SUZUKI HAYABUSAのためのガレージを作っている風景です。
まずは軒下を長くして、横からも斜めの雨が入らないようにする柱組を作っています。
屋根ができたら瓦をふいていきます。瓦のことは全く分からなかったので南淡路の産業文化センターの瓦の展示場に行って
瓦のことを学びました。現代の瓦は風で飛ばないように釘で止めるため、瓦の下に桟を入れるので結構大変な作業でした。
元からある土蔵の瓦は70年以上前のものなので、瓦も小さく、わら土の上に載せてあるだけです。両方の瓦をグラインダーで
削ってみると瓦の堅さが全く違っていました。現代の瓦は高温で焼いているのかとても堅いです。
ガレージの側面の壁には杉板を張り、バイオリンの型を残してガスバーナーで焼きました。入口は観音開きのドアーを付けたので
雨風は防げそうです。雨樋を付け、ソーラーランプを5ヶ付けました。これで夜も少しは明るいです。
一時期は瓦のふきかたがうまくいかず心配でしたが、ほぼ完成したのでホッとしています。
日曜大工は楽しいです。
2023年1月1日 元旦
あけましておめでとうございます
皆様にとって素晴らしい年になりますようにお祈りいたします 2023年元旦
※玄関の外灯 ピカピカに磨きました。
枚方の古民家に引っ越しして10年目に入りました。ここは楽器製作にとても良い環境です。私の楽器もこの10年で少し音も良くなったと
思っています。今年からは積極的に体力向上を目指し、まだまだ多くの楽器を作っていこうと思います。
バイオリン製作の仕事は体力と気力があれば死ぬまで続けられる仕事なので、この仕事に出会えてとても良かったと思っています。
製作本数が増えると新たな課題が発生し、それらを解決するのは大変ですがまた楽しみでもあります。
これぞ、素晴らしい仕事だと思っています。
ここでの生活10年間で、枚方工房の庭は少しづつ整理されました。春には桃の花が咲き、5月には藤の花が咲きます。
今年はその頃に、1ヶ月間枚方の工房の自由見学会を行います。どんなところでバイオリンが作られているかを自由に見れます。
私が説明もします。バイオリンの表材料、アベーテロッソの盆栽もあります。
私の楽器を試奏したい方にはそれらも用意してあります。40年間この仕事を続けられたことをとてもうれしく思っています。
庭の見学、工房の見学だけの方も歓迎です。
2022年12月12日 クレモナ派4人のバイオリン展示会 第一回
12月に関西弦楽器製作者協会の展示会が終わったところですが、これからすぐに別の展示会があります。
4人の展示会なので、小さな展示会です。場所は大阪高麗橋にあるバイオリ工房クレモナで行います。
12月16日(金)午後13時〜19時 12月17日(土)18日(日)午前10時〜18時
予約不要
出展者紹介動画youtube https://www.youtube.com/watch?v=wGGU3ibpbSo
2022年11月25日 2週間のイタリア・クレモナ滞在
3年ぶりにクレモナに行ってきました。
12月16日(金)午後13時〜19時 12月17日(土)18日(日) 午前10時〜18時 バイオリン工房クレモナにて 予約不要 出展者紹介動画 youtube https://www.youtube.com/watch?v=wGGU3ibpbSo |
2022年10月25日 関西弦楽器製作者協会展示会
2022年12月5日(月)〜11日(日)7日間関西弦楽器製作者協会展示会を行います。
その展示会出展のためにバイオリン、ビオラ、チェロを作っています。
バイオリンはグアルネリ・デル・ジェズモデルを2本作っています。ビオラはガスパロ・ダ・サロモデルです。
チェロはストラディバリモデルでニス塗りが終わり、今日指板の接着を行いました。
毎年、私は展示会があると多くの楽器を出展します。今回も4本出展します。それに弓も出展します。
あと1ヶ月ちょっとなので、製作に励んでいます。
ニス作り 琥珀を溶かしているところ |
左は琥珀、右は亜麻仁油360度まで熱します |
2022年8月14日 あらたなチェロ製作
チェロ製作動画ではストラディバリのマーラ1711年のモデルを作りましたが、今回はストラディバリのEX Piattiを使ってチェロを作ります。
私は6台のチェロの内型を持っています。2台がストラディバリ、1台がモンタニャーニャ、1台がヴェネツィアのピエトロ・グアルネリ、
1台がジョ・バッタ・モラッシー、
2022年7月4日
職人歴40年を迎えて チェロ製作動画No.8 youtube
子供の頃、68歳の人を見ると隠居暮らしのおじいさんと思っていましたが、実際自分がその年になってみると外観は少しづつ変わりましたが
日々行っている楽器製作に関してはちょっと時間がかかるようになったものの、ほとんど年齢の影響は感じていません。趣味でやっている自転車や
カヌーは話にならないほど体力が落ちてしまい、ただ好きでやっているだけです。しかし、楽器製作はスポーツのように体力がすべてではないので、
年をとっても若い時と同じように仕事ができます。長年やっているだけに、製作本数も増え、どうしたらどのような音になるか少しづつ予測もたつように
なり楽器作りの本質がわかり始めたような気がします。
40周年を記念してyoutubeにupし始めたチェロ製作ビデオも8巻の白木チェロ完成まででき、今日「チェロ製作動画No8 ネック製作とネックの仕込み」
をyoutubeに公開しました。残るは9巻目のニス塗りだけとなりました。 youtubeコーナーはここをクリック
動画を編集作成するのは楽器を作るより大変なので、これが最後の楽器製作動画になると思います。
楽器を作ることは、若い時にイタリアで親方からぼろ雑巾のようにしごかれたおかげで、何が楽器作りに重要かが考える前に体の中に
染み付いています。本当に良い親方達に巡り合えて幸運だったと思っています。
持っている材料も年々古くなり、30年私が手元で自然乾燥させた材料なので、私が作るバイオリンの手助けをしてくれます。
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2022年6月3日 チェリスト井上帆乃香さん 私のクレモナ修業時代の友達にLorenzo Marchi ロレンツォ・マルキがいます。彼は今では数多くいるイタリアのバイオリン作りの長老的存在です。
井上帆乃香 プロフィール
4歳よりチェロを始める。現在、京都市立芸術大学3年。
第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会高校の部第2位 [最高位]。
第75回全日本学生音楽コンクール全国大会大学の部第1位およびNHK会長賞、京都市文化芸術みらい賞受賞。
第33回京都芸術祭音楽部門「世界に翔く若き音楽家たち」に出演、毎日新聞賞受賞。
Music Dialogue室内楽塾、秋吉台室内楽セミナーなど受講。
これまでに後藤敏子、水野奈美、向井佳絵子の各氏に師事。
上の写真はフランスのストラスブールで行われたE.I.LA.(国際バイオリン製作者協会)の会合の合間のバールでのひと時です。昔の写真なので
私の髪形は随分と変わってしまいました。
私はイタリア・クレモナでバイオリン修行している時、彼から多くのことを学びました。また、休みの日にはよくロードレーサーに乗って、ピアチェンツアの
丘を一緒に走りました。私が日本に帰る時、これが最大の秘密だと言って特殊鋼でできたスクレーパーセットをプレゼントしてくれました。
この道具の形状も整えられていて、これで仕事をするとものすごく早く楽器を作ることができると言っていました。30年使い続けるとこの道具のおかげで
私は多くの楽器を作ることができました。
2020年8月のある日、井上帆乃香さんがロレンツォ・マルキLorenzo Marchiのチェロを持って高麗橋工房にやってきて、新しい駒を作ってほしいとのことでした。
ロレンツォ・マルキのチェロを見るのは久々で、イタリアのクレモナで暮らしていた頃のことを思い出し、懐かしさでいっぱいになりました。
井上帆乃香さんに話を聞くと、岐阜のサラマンカホールが企画している楽器貸与プロジェクトに応募してオーディションを受け、マルキの楽器を借りたとの事でした。
マルキのチェロは2021年12月に返却となりましたが、彼女は私の製作したチェロ弓を気に入って購入し、現在もそれを使っています。
井上帆乃香さんは私の親方レナート・スクローラヴェッツァのチェロのことも知っていて、イタリアつながりで話が弾み、親しくなりました。
彼女はちなみに小中学生の頃は、チェロよりも剣道のお稽古が好きで、皆勤賞で地元の道場を卒業したという異色の経歴で、
未来を嘱望される大学生のチェリストです。
2022年5月9日 第12回関西弦楽器製作者協会展示会を終えて
2022年4月30日 明日から展示会 大阪市中央公会堂にて
2022年4月14日 第12回関西弦楽器製作者協会展示会 5月1日(日)2日(月)
あと2週間ほどで大阪市中央公会堂で弦楽器展示会が行われます。私はバイオリン、ビオラ、チェロ、そしてバイオリン弓、ビオラ弓、
チェロ弓を出展します。今年も多くの楽器と弓を出展します。チェロだけがまだ仕上がっておらず、ニスを仕上げているところです。
予定では5月1日までには完成する予定です。ぜひ展示会にお越しください。 展示会チラシ関西弦楽器製作者協会
2022年3月9日 セイコ-ファイヴ SEIKO 5 とチェロ製作動画youtube
私が小学校4年生の時、1964年東京オリンピックが開催されました。その時の公式測定時計にセイコーが使われました。
たぶん私はその時セイコーの存在を知ったように思います。そのオリンピックではボブ・ヘイズが人類史上初めて100m走で9.9秒を
記録しました。その映像は何回もテレビ・新聞でニュースになりゴール地点にはいつもSEIKOの5文字がありました。
その出来事は私が中学生になっても強く印象に残っていました。テレビのCMで再び私の目の前にSEIKOの文字が黒文字盤の
黒いスポーツ時計が現れました。私はそのCMに魅せられその時計を所有したくなりました。親に時計が欲しいというと、「社会人になったら
自分で買ったらいい」と即答されました。それでも私はその時計が欲しくなり、朝早く起きて新聞配達をして勤労少年となりお金を稼ぐことを始めました。
そして2ヶ月後、今ではあまり聞かない昭和のシステムですが、親が時計屋に電話をすると、時計屋の人が20個ほどの時計を我が家に持ってきて畳の上に
、
ベルベットの生地を敷き、そこにずらりと各メーカーの腕時計を並べました。私は迷うことなく「これが良い!」と言って躊躇することなく黒い文字盤に
赤い秒針のSEIKO 5
を選びました。次の日からは来る日も来る日もその文字盤を眺め、時には歯車の音を聴いたり、用もないのに回転ベゼルを
廻したり、自動巻きの音を聴いたり、心の中では水深70mまで潜る潜水夫になったつもりでした。
時は過ぎ、その感動も少しづつ薄らいできましたが、54年経った今も使い続けています。ただ蛍光塗料が劣化して夜中に時間を見る事は困難に
なってしまいました。最近は年をとったせいで夜明け前に目が覚めるようになり、時間を知るためには新しい時計が必要となり、新たな
SEIKO5を購入しました。その後、新聞配達は中学高校と6年続け、生涯朝早く起きることは苦にならなくなりました。そのおかげで今も毎日朝早く起き
多く仕事をするので、多作の楽器職人となりました。
◎チェロ製作ビデオ No.6 表板の外側仕上げ youtubeにupしました。youtubeページ
2022年1月6日 チェリスト佐藤光氏と岩井製作のチェロ(1994年)とyoutube演奏動画 パリ管最後のコンサートの時
佐藤光氏を紹介します。
youtube演奏動画 (曲名をクリック)
バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 プレリュード
バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 アルマンド
バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 メヌエット
佐藤 光 〔チェリスト〕
東京に生まれる。5歳の時から、日本で最初のカザルスの弟子となった父の佐藤良雄にチェロの手ほどきを受ける。
東京芸術大学付属高等学校及び東京芸術大学において、三木敬之、レーヌ・フラショーの各師に師事する。
1973年、フランス政府給費留学生として渡仏。パリ国立音楽院にて、チェロをアンドレ・ナヴァラ、室内楽をジャン・ユボーの
クラスに学ぶ。それぞれのクラスで一等賞を獲得し卒業。ジュネーブ国際コンクール入賞。1年間、ニース管弦楽団〔現カンヌ管弦楽団〕で
活動するかたわら、ポール・トルトゥリエ氏に師事する。
1979年、名門パリ管弦楽団に、初めての日本人として入団。以来パリやアイルランドでのリサイタルをはじめソロ、コンチェルト、
室内楽の演奏活動も多数行っており、日本、スペインや南仏のフェスティヴァル、ドイツ、ベルギー、イタリア、イスラエル、アルゼンチン、
タイ、ユネスコ、フランス国立放送局、NHKなどで演奏を行う。
2005年国際チェロコングレスに招聘されマスタークラス教授および演奏家として出演。パリ弦楽四重奏団創立メンバー。
2020年12月を以ってパリ管弦楽団を定年退職する。
現在パリ在住
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佐藤氏に私のyoutube動画お願いしました。
佐藤氏は私が1994年に製作したモンタニャーナモデルを使用されています。このチェロは大阪・高槻市で製作したものです。
1994年と言えば私がイタリアから帰国して、まだ2年しか経ってなく、イタリアのクレモナで学んできたことを忠実に再現したものです。
ニスも今とは違って80年代当時クレモナでは皆このような色むらのないニスを塗っていました。
パリから3曲の演奏動画を送っていただいたので、ここでそれらを紹介します。
曲目紹介(以前に2曲収録済です) B真田丸メインテーマ CCavatina カヴァティーナ Op.85-3 (Joseph Joachim Raff) D情熱大陸 Eタンゴ・ジェラシー F紅蓮華 アニメ「鬼滅の刃」より Youtubeページはこちら |
2021年12月4日
バイオリン製作 アントニオ・ストラディバリ クレモネーゼモデル
来年5月に開催される関西弦楽器製作者協会展示会に出展するクレモネーゼモデルを作り始めました。
一枚板で横板を切り取るところから始めました。この作業をすると横板がとれ、荒取りで削り取る部分が横板材となるので、
時間がかかり大変ですが、木を無駄なく使うという点ではエコ(省エネ製作)です。
裏板を挟んでいるハタガネは日本古来の木工で使われるはさみ道具です。私はこれを30年前から使っていて、
バイオリン用とチェロ用と長さの違うものが2種類あり、とても便利なもので物をしっかり固定できる木工道具です。
20数年前、高槻でバイオリン製作学校を開講していた時は全員がこのチェロ用のはさみ道具で表板裏板のハギを行いました。
上の写真がチェロの表板をはいでいるところです。このはさみ板があれば、万力の付いていない作業机でもバイオリンからチェロまで
色々な楽器のハギが簡単にできます。話がそれましたが、バイオリンに戻ります。
クレモネーゼモデルのライニング接着まで工程は進みました。内型は今回は3cm幅の2層になったもので作業を進めています。
私は67歳となり視力も集中力も少しづつ衰え、細かい作業が面倒くさくなり、この2層式を使うと簡単に正確に横板が作れるので、この
方式を使っています。バイオリン製作に関する記事はここまでです。
現在 バイオリン職人40年記念の動画を2本 youtubeに公開しています。日本語版とイタリア語版です。
2021年11月4日 バイオリン弓の動画 you-tube
私は2013年から弓製作を始めたので、9年目になりました。今回は私の弓を購入されたヴァイオリニスト後藤學さんにお願いして
you-tube動画をupしました。動画は2本あり、一つは私の弓の性能をみるもので1、弓のハネ、2重い和音、3ハネの連続、
4pianoからforteへと4種類の動作を試しています。もう一つは後藤さんがクライスラーのレチタティーヴォとスケルツォ作品6を
演奏されています。動画はこちら →弓の性能動画 →後藤學さんの演奏(クライスラー)
2021年9月14日 チェロ製作動画とバイオリン職人40年記念(バイオリン工房自由見学会)の開催
現在チェロを作っています。裏板の厚み出しまで進みました。10年ほど前にバイオリンの動画を10本ほどyou-tubeに
アップしましたが、今回はチェロシリーズの動画です。昨日「チェロ製作No.5裏板の厚み出し」アップしました。you-tubeコーナーはコチラ
予定としては10回ほどで完了します。バイオリン製作や弓製作を行いながらのチェロ製作なので時間はかかると思います。
最近購入した三脚と横移動する付属品 |
ハッチンス方式の第5モードの波形 |
もう長い間色々な動画を撮っていますがカメラの三脚しか持っていなかったのでそれを使っていました。今回は今までのビデオより
ちょっと変わった映りになったほうが良いと思ったので新たにビデオ用の三脚を買い、スムーズに横移動できる付属品も買いました。
少し良いものを買ったのでカメラのブレも少なくスムースに動きます。ただビデオカメラは市販のホームビデオカメラなのでテレビ映像のように
きれいは撮れません。プロ機材は家庭用とは違って値段も高価なのでバイオリン職人がそこまで投資する必要も感じません。また私は
スマホも持っていないのでホームビデオカメラで撮るしかありません。
チェロ裏板厚みの型紙 |
チェロ板を削る豆カンナ |
2021年9月4日 弓製作
2021年8月17日 チェロ製作道具の説明
現在チェロを製作中です。チェロ製作その3、その4の動画をyou-tubeにアップしました。
今日はチェロ製作に使っている道具を2つ紹介します。一つは日本製で一つはイタリア製です。まずは日本製の四方反り鉋を紹介します。
四方反り鉋 |
四方反り鉋 大きな取っ手握りは自作 |
ドライバーでネジを緩め刃の出方を調整する |
櫛刃で逆目が立ちにくく削れるカンナ |
2021年7月28日 チェロ製作動画その1、その2 you-tubeにアップしました
イタリアで労働許可をとって仕事をしていた頃、 |
チェロ製作 ビフォーアフター 現在の私 |
寺川碧さんのプロフィール 華頂女子高等学校音楽科を卒業。 大阪音楽大学ヴァイオリン演奏家特別コースに特待生として入学し、卒業時に最優秀賞を受賞。 同大学卒業演奏会に出演。これまでに榊原徳子、三瀬由紀子、久合田緑、日比浩一の各氏に師事。 |
2021年7月10日 バイオリン職人40周年記念(バイオリン工房自由見学会) 1981年クレモナ冬 ポー川の河川敷にて この広い農家に一人で住んで居ました
私がバイオリン職人を志してから今年で40年が過ぎました。初めの頃はイタリアに渡ってバイオリン製作を続けられるかどうかも自分自身は
自信もなかったので続くところまでやってみようと始めました。不安の原因は自活する経済的資金がないことだけでした。
今から思うと体が丈夫だったのか大きな病気もせず、バイオリン製作を続けることができました。
イタリアでの11年間の修行は大変なこともありましたが、バイオリンに関する知識が増えていったので、苦しさよりも喜びの方がはるかに
大きかったです。イタリア生活も数年たって言葉が喋れるようになるとイタリア人の友達ができ、バイオリン製作以外に自転車に乗ったり
カヌーを教えてもらったり、魚釣りのフライフィッシングを教えてもらったり、楽しい想いを多くしました。
バイオリン製作に関しては運よく、マエストロ ステファーノ・コニア、マエストロ ジョ・バッタ・モラッシー、マエストロ レナート・スコラールヴェッツァ
達に多くのことを学びました。
バスタブを持ち込み追い出されることになった住まい
上の裸の写真には理由があります。クレモナのvia Casteleoneにある平屋の倉庫に住んでいました。ピチェネンゴ村の農家(カッシーナ)の
前に住んでいた家です。屋根がトタン梁りなので朝の9時になると家の中が異常に暑くなり、夏場はいつも裸で仕事をしていました。
この当時の夏の日課は、一日に何回も長いホースを家から引っ張り出し、屋根に向かって放水し部屋の温度を下げることでした。
シャワーもなく、たまらず鉄くず屋でバスタブを買い、部屋に持ち込み水風呂に使っていました。その貸部屋は本来は倉庫なので水で床を
濡らすことは厳禁でした。隣の倉庫は衣類の保管場所となっていたからです。私は暑さに耐えきれず、涼んでいるところを大家さんに
写真右の窓から見られてしまいました。それが理由でこの部屋を追い出されることになりました。
当時は楽器も思うように売れず経済的にも大変な時でした。どうしようと思案しているときに、コントラバス製作夜間学校の同級生の
パオロ・パルスキ氏に助けてもらいました。パルスキ氏は夜間学校に通っていましたが彼は私の親と同じような年であり、実業家でもあり、
彼の家は3軒隣に銀行がありましたが、その銀行の建物よりも大きな建物でした。
ある時、夜間学校の休憩時間に私が家を追い出される話をすると、ピチェネンゴにある農家(カッシーナ)ならただで使って良いと申し出てくれました。
彼の好意により運よくイタリア滞在を続けることができました。
その農家(カッシーナ)は1年間電気のみで、ガス水道のない生活でした。そこでサバイバルのような体験をしたので私はとてもたくましく
なりました。その後バイオリンも売れるようになり、家賃を払うからということでガスと水道をつけてもらいました。しかしその農家は
大きくて道路から私有地に入って私の部屋までは100m近くあったので大工事となりました。家の入口までは市が無料でガス水道を
ひいてくれますが、私有地は個人負担の工事となります。いくら家賃をとっても割の合わない仕事をやってくれました。
イタリア生活も労働許可を取得し、11年が過ぎて仕事も軌道に乗りバイオリンも売れるようになったので、イタリア永住のためクレモナに
アパートを買いました。この時はマエストロ ジョ・バッタ・モラッシーがいろいろ助けてくれました。その後ある時、日本人の友達から
私の楽器が日本で高く売られていることを知りました。私が日本に帰ってもすぐにその値段で売れると単純に考え日本に帰国を決めました。
日本に帰ってから楽器業界の流通のことなどいろいろなことがわかるようになりました。
しかし、私は日本の楽器業界のしきたりや流通機構に乗ること選択せずに独自で製造直売を始めます。今では日本人でも製造直売するように
なりましたが、1990年代はそんなことは不可能で誰もやる人がいませんでした。
私にはイタリアのピチェネンゴ村での農家でのガス水道無しでも生きてきた自信があったので、多くの困難は乗り越えられるようになって
いました。幸運なことにイタリア生活体験があったので日本の大阪日伊協会や日本イタリア会館、イタリア文化会館-大阪から応援して
もらい、製造直売を広める関西弦楽器製作者協会を設立し現在に至っています。
この40年間バイオリン職人を続けられたことは多くの人々によって応援してもらったからからです。
そこでこの40年を記念し今年の秋、私の工房を1ヶ月間自由解放し、私の仕事ぶりを自由見学できる予定でいました。
残念ながら今はまだコロナ終息してないので今年は無理と思いますが、いずれコロナが収まれば40周年記念として行います。
バイオリン製作やバイオリン職人の話を聞きたい方はぜひお越し下さい。
バイオリン職人40年記念(バイオリン工房自由見学会)の開催時期はHPでお知らせいたします。
2021年6月9日 最新のバイオリン、グアルネリ・デル・ジェズモデル完成しました
私は少し前に67歳の誕生日を迎えました。今製作中のバイオリンは次に仕上がるものですが、力木を付けていて普通はこの作業は
早くいけば1時間、遅くても半日くらいでできます。それが今作っているのは2日もかかりました。一日目が終わって仕事が完了していないので
疲れも倍増していました。次の日、やっとのことで力木接着を終えました。その時はなぜか達成感がありました。力木接着の作業に時間が
経つのを忘れて没頭できたからでした。思い返すと40年前は毎日がこのような状態で、常に物を作ることだけに没頭していたのを思い出し
ました。何か懐かしいものに出会った気持ちで、物つくりの最大の魅力である没頭できる時間が感じられることがこの職業に一番良いところだと
思います。このことをいつまでも感じ取れるような新鮮な気持ちで今日一日が終わったとすがすがしく思える毎日を送りたいと思いました。
2021年5月28日 ナショナルオーディオタイマー
最近、奈良の骨董屋に行くと棚の上に、オーディオタイマーが置いてありました。
上の写真のオーディオと同じものを二十歳の頃、今から47年前にこれと同じものを使っていました。
FM音楽ラジオ番組などをカセットテープに録音し、そのテープをオーディオタイマーを使って朝の目覚まし代わり使っていました。
私のオーディオ体験の初めは小学校の3年生か4年生の時でした。学校のプールの横に大きな職員室があり、その2階には全面
畳張りの広々とした大きな部屋がありました。学校では作法室という名で呼ばれていました。普段はあまり使うことはないのですが、
洋食のテーブルマナーの時間では、正座をしてフォークやナイフの使って「バナナ」や「シュークリーム」の食べ方を学んだり、
ある時はクラシックレコード鑑賞、たしかベートーベン交響曲5番を聞いた記憶があります。大広間に生徒皆、正座をして奥の
真ん中に置いてある、大きなラッパのついたゼンマイ式蓄音機から出てくるシャリシャリした大きな音を皆で神妙に聴きました。
これが私にとっての人生初めての西洋クラシック音楽でした。
その次は小学校5年生か6年生の時に学校行事で京都会館に行き、京都市交響楽団の生のオーケストラ演奏を聴きました。
この時の音はレコードの音とは大違いで、オーケストラの豊かな音がしていました。私は音よりもこんな大きなホールで音楽を聴いた
事がなかったので、この空間の大きさに一番の驚きを感じました。音にあまり集中できなかった原因はそのコンサートの前日に
音楽鑑賞の指導があり予行演習として、教室でパンフレットが全員に配られ、「音楽が演奏されている時間は、決してパンフレットを
開いたりしてパラパラ音を立ててはいけない」と強く言われていました。私は本番の日はそのことが気になり、音楽どころでは
ありませんでした。今から思うとあの指導がなかったら、もっと楽しく音楽を聴いていたかもしれません。
その次にレコードを聞いたのは私が中学生になった時、私の兄が就職をして働き始めたある日、コロンビアのモジュラーステレオ
と呼ばれる物を買ってきました。その時もモジュラーステレオをちゃぶ台の上に置き、兄弟3人が正座をしてクラシック音楽と
トム・ジョーンズを聴きました。二十歳になった時、大阪の日本橋に行って自分でアンプとプレーヤーとスピーカーを買いました。
この時期はオーディオブームが到来していて日本橋の電気店はすべてオーディオを売っていました。三菱、ヤマハ、日立、ナショナル、
オンキョー、山水、東芝、SONY、AKAI、AIWA、NAKAMICHI.... 何しろ数え切れないほどのメーカーがこぞってステレオ機材を作って
販売していました。私は日本橋の中古機器を専門に売っている地域に行って、オープンリールなどを買った想い出があります。
イタリアに行った時は、ミラノに行けばオーディオ専門店があり、日本で高価であった海外のJBLやタンノイなどが高価ではなく
普通の値段だったのでところ変われば値段も変わることがわかりました。逆に日本製は高級品として売られていました。
30年くらい前からスピーカー製作に興味を持ち、数個のスピーカーを作り今もそれらを聴いてオーディオを楽しんでいます。
このナショナルのオーディオタイマーを見ていると私の50年間のオーディオ歴を思い起こし何故か懐かしい気分に浸れます。
気が付くといつのまにか正座することはほとんどなくなりましたが、今も楽しくオーディオ音楽を楽しんでいます。
2021年4月24日 展示会中止のお知らせ
大阪緊急事態宣言発令により、「関西弦楽器製作者協会展示会 〜カノーネの展示販売〜」は開催中止となりました。
またご予約、開催を楽しみにされていた方々におかれましては、
度重なる展示会中止のお知らせとなり申し訳ございません。
2021年4月2日 ニス作り
ニスの起源は古く私達人間が最初に作ったニスは、ミイラを作った時にそのミイラが腐らず長持ちするように亜麻仁油を塗ったらしいです。
亜麻の花は世界中どこにでも生えていて、それを原料にした亜麻仁油が多く使われています。
バイオリンが生まれたのは1550年頃なので、古代エジプトの亜麻仁油の加工の仕方は随分と進化を遂げています。
ルネッサンス時代のイタリアではフレスコ画が多く描かれていました。ローマのバチカンのシスティーナ礼拝堂の天画はミケランジェロが
フレスコ画で描いています。ダヴィンチの最後の晩餐もフレスコ画です。かたやモナ・リザは油絵で描かれています。
その後、油絵の方が艶があり塗り重ねできて、使用が簡単で長持ちするので油絵具の使用が増えていきます。
バイオリンのニスも油絵具の作り方も基本は同じです。同じというより、絵画の方が歴史が古いのでバイオリンが出来た時に、油絵の具を
改良してバイオリンのニスに応用しました。バイオリンのニスはオレンジ色をていますが、透明でもあり木目がしっかり見えるものが良い
バイオリンニスです。絵画に使われる油絵具は顔料が多く入って下地の布や木が見えずに色だけがきれいに見えるのが良い油絵具です。
しかし、基本的にはどちらも亜麻仁油が主成分となっています。
現在のバイオリンニスはアルコールニス、油ニス、またそれらを混合させたニスといろいろな種類のものがあります。
今日は琥珀と亜麻仁油を使った油ニスを紹介します。
上の写真を見ると楽しそうに料理を作っているようですが、ニスを作っているところです。琥珀や亜麻仁油を300度以上に温度を
上げるので、煙と臭いで大変な近所迷惑なこととなります。大量に作ることは決してやってはいけません。煙を見て消防車がやってくるからです。
私はいつもニスを作るときは誰かが消防署に通報しないかとびくびくしながら作っています。運よく通報されなくてもすごい匂いが近所中に
風に乗って流れていくので廻りが雨戸を閉めることは確認できます。近所迷惑なのでいつもニスを作るときはドキドキしながら作っています。
以前、短時間で済ませようと一挙に油の温度を上げたら油が引火しものすごい炎を上がり、火事になりそうなこともありました。
時々天ぷら油が引火して火事になったとニュースにありますが、油が燃えるとなかなか消すことができず大変です。
弱火にして温度を上げていくしか方法はありません。
2021年3月8日 デルジェズモデルのバイオリン2本完成
バイオリン2本完成しました。2本ともグアルネリ・デル・ジェズモデルです。バイオリン製作は40年目となりますが、毎回新たな発見が
あります。バイオリンの音はふくらみの形状であったり、板の厚みであったり、またニスはどのような配合が音色に影響するか、カエデの
虎杢を際立たせるためにはどんなニスを塗ったら良いのか、毎回楽器を作るたびに何かを少しづつ変えるのでこれで完璧なものができた
と言えることはありません。ただ40年もやっていると少しづつ自分がどんなものを作りたいのかがわかってきて、外観的なことは自分の好みと
同じものになります。多くの人は青年の時は自分がどのようになるか想像もつかないですが、66歳になると今の自分自身が自分であると実感します。
それと同じように、毎年40年間も同じ人間がよく似たものを作り続けていると、前に述べたことと同じで、今のバイオリンが製作者自身だと
言えると思います。あと20年か30年作り続けますがバイオリン職人になって良かったと思っています。何故なら死ぬ直前まで仕事ができる
職種ですから。もっと良いものが作れると思えば仕事にも張り合いがでてきます。
上のバイオリンは裏板が1枚板で下のバイオリンは裏板が2枚ハギのカエデです。
2021年2月11日 屋久杉ビオラ完成
私は楽器製作者ですが、趣味が木工なので木には大変関心があります。20年前から材木の収集もやっています。
2021年1月19日 バイオリンとビオラ製作 バイオリンとビオラの表側の写真です。 バイオリンとビオラの裏の写真です。
バイオリンとビオラのニス塗りがほぼできました。バイオリンはグアルネリ・デル・ジェズのカノーネモデルです。
ビオラは41cmのストラディバリモデルです。表板は屋久杉を使用しています。
バイオリンのネック 写真左は今製作しているバイオリン。真ん中はジェノバ市にあるカノーネ実物の写真です。右の白木のネックは
次に作るバイオリン カノーネのネックです。
左がビオラで右がバイオリンです。バイオリンの横板は裏板の切れ端から取ったものなので虎杢が裏板から横板につながっているのが
よくわかります。
今回2本の楽器は、高麗橋ショールームでニス塗りを仕上げました。店の中は大変明るいので、ニス塗りがうまくいきました。
あと10日ほどで弦がかかって完成していると思います。屋久杉のビオラは初めて作ったのでどんな音がするか楽しみです。
41cmのビオラを探している方は試奏にお越しください。
2021年1月1日 謹賀新年
2021年が皆様にとって良い年でありますように
今年でイタリアクレモナにバイオリン修行に行ってから40年になります。その1年前の1980年にテントとバックパックを持って
ヨーロッパのどこかでバイオリン製作の弟子入りができないか視察旅行を行いました。当時はインターネットもなく現地で行くしか
情報を得る手段はありませんでした。私はドイツ、フランス、スイス、スペイン、北欧等を廻りました。そしてイタリアミラノに行った時に、
クレモナのバイオリン製作学校の存在を知りました。学校で手続きを終え、日本に帰りました。すると夏頃、クレモナ学校から入学試験日の通知
が郵送で送られてきました。そして私は秋にその通知表を胸ポケットにしまい込み、肩には大きな輪行袋を背負い旅立ちました。輪行袋とは自転車を分解して、
自転車を荷物として運ぶ手段です。私は小学生の時、親からサイクリング自転車を買ってもらい、それ以来自転車が大好きになりました。
1970年に大阪万博があり、高校2年生の私はイタリア館に入りました。するとそこでは大きなパネル写真にドロミーテの大自然が写されていて
ジーロ・ディタリア(イタリアのプロの自転車レース)が紹介されていました。横には当時使われていたロードレーサーも展示されていて、
それを見たとき私もいつかイタリアに行ってこの写真の場所を走りたいと思うようになりました。
私の家庭は貧しくはありませんでしたが、中学、高校と新聞配達や牛乳配達をしてそのお金で好きな自転車部品などを取り換えるのが好きでした。
私は中学生の時からアルバイトを始めたので、18歳になった時には一人になっても自活していける思いはありました。
そもそもイタリアのバイオリン修行には両親は反対していたので、すべて用意をしてからイタリアに出発すると数日前に「イタリアに行くから」と告げました。
この時点で親からの援助は受けないと決めていました。当時一番心配していたのは私の所持金で航空代金を省くと、数十万円しかありませんでした。
それを握りしめての出国でした。
イタリアクレモナに着き、試験日前日に学校に行くと、「あなたは試験を受けられません」と事務局に言われました。あとでわかったことですが、
当時はアジアからは1名しか入学者を取らず、すでに他の人が入学の手続きを確保していたのです。いきなり、イタリアの厳しいコネ社会を
体験しました。しかし、私は1万キロも離れたところから来ていて、切符は経費節約のために片道切符で来ていました。
仕方ないのでペルージアの外国人語学学校に入学しました。
上の写真はペルージアの写真です。この町のチェントロ(中心地)は丘の上にあり、どこへ行っても平坦路が少なく、地元では誰も自転車に
乗っていませんでした。写真のこの赤いロードレーサーが私の宝物でした。このフレームはイタリアのミラノ・デローザでフレーム作りを
学んで帰国した長澤義明氏が日本で作った第1号のロードフレームです。
ここで語学学校に通い、時間のある時に丘を下るとLago Tragimeno(トラジメーノ湖)があり、その湖をよく廻りました。
イタリアでは4番目に広く、大きな湖でした。上の写真を見る限り、落ち込んでいる表情もなく、イタリア生活を楽しんでいるように
見えます。しかし2ケ月も経つと所持金は底をつき困っていたら、クレモナ在住のバイオリン製作家内山さんの紹介でステファーノ・コニアの
工房に弟子入りすることとなりました。これで首の皮一枚で私のイタリア滞在がつながりました。
その後、必死で働き、次の年にはマエストロコニアのおかげでクレモナバイオリン製作学校に入学できることになりました。
当時マエストロコニアは学校でニスの教鞭もとっていて学校にコネが効きました。自転車に関しては運悪くドロミーテを走ることなくクレモナ近辺
のみを走り、生活費を稼ぐ毎日が続きました。私の愛車ナガサワロードレーサーは地下倉庫の鉄柵を溶接機で開けられ、自転車は
盗まれました。その後何回かの苦難は続きますが、結局11年もイタリアに滞在することになります。
日本でバイオリン製作の仕事を始め、40歳の頃にやっと余裕ができて、その頃からイタリアに行ってドロミーテを自転車で走ることができるように
なりました。イタリアで労働許可をとりプロのバイオリン職人として仕事をしている時、イタリアでの永住も考えクレモナに小さなアパートを購入
していました。それがあるので、ドロミーテを自転車で走ることは容易にでき長年の夢を果たせることになります。
結果的に西はフランス、東はスロベニア、ドロミーテを20年以上かけてほとんどの峠を制覇しました。大阪万博イタリア館で夢見たことは
20〜30年かかってすべて叶いました。
自転車に乗ることはずっと続いていて、高槻市に住んでいた時サイクリング走行中大きな事故に遭いました。相手の不注意により落車し
入院しました。頸椎を痛めたので、時間がかかりました。入院中も退院後もリハビリが続き、もう楽器は作れないかもしれないと思っていましたが、
大変稀な例で頸椎手術をすることなく10年かけて完治しました。
事故後2年間は自転車に乗りませんでした。しかし、体調が戻ってくると、少しづつ自転車に乗ることもできるようになりました。
現在、大阪高麗橋にショールームを持ち、午前は枚方工房、午後は高麗橋で仕事をしています。
枚方の津田駅から北新地までは学研都市線と東西線で乗り換えなしでいけますが、そこから肥後橋までは電車に乗らず、自転車通勤しています。
電車に乗るときは折り畳み式のミニサイクル輪行袋に入れ運んでいます。電車と自転車の通勤を合わせて行っています。
毎日1日2回自転車を袋に入れたり出したり、まるで自転車旅行をしているようです。40年楽器を作り続けましたが、これからも
1本でも多くの楽器、より良い音の出る楽器を目指して製作したいと思っています。
アッという間の40年間でした。楽器製作道具と自転車はいつもすぐに手の届くところにありました。
2020年12月4日 屋久杉のビオラとバイオリン弓製作
屋久杉を使ってビオラの表板を作っています。以前にもこの同じ材料でバイオリンも作りました。このビオラの表板は板目取りで一枚板です。
板目取りでもこの材料は年輪の幅がとても狭く、1mm成長するのに3本の冬目が入っています。(3年かかります)そして鶉杢も入っています。
今はビオラの他にもバイオリンを作っていますが、そのほかにバイオリンの弓2本を作っていてその2本が仕上がったので、
紹介します。2本ともバイオリンの弓ですが、今回は1本が、ペルナンブーコに虎杢が入っています。虎杢材の方にはスネークウッドの
フロッグを取り付けました。
2020年11月8日 オーロラ2号完成しました。 2020年10月12日 私の製作した弓の試奏動画
オーロラ2号は実は白木で1年前に完成しました。その後一枚板で新たに作り、2020年白木で1年半乾燥させた2枚ハギのものに今回
ニスを塗り仕上げました。実質的に白木では1号でしたが、ニスを塗り弦を張り、バイオリンが完成したので2号となります。
今回は2枚ハギの珍しいカエデです。この板は以前you-tubeにも載せた大きな畳一枚くらいあるカエデ材から木取りしたものです。
楓裏板と横板の木取りのyou-tubeはここをクリック
10年くらい前に「暴れん坊将軍」と名付けた材料がありましたが、それとは別のものでオーロラという名前を付けています。
どちらも京都清水の黒田工房から入手したものなので大変古い材料です。
このバイオリンはグアルネリ・デル・ジェズモデルです。高麗橋の工房に置いてあるので、いつでも試奏できます。
どうぞお越しください。
チェロ弓の演奏動画をyou-tubeにupしました。私の工房のお客様にチェリストMNさんがおられます。以前からチェロの駒を作ったり
毛替えをしたりしています。今回はMNさんに協力していただいて私の製作した弓での演奏動画を作ってもらいました。
私の工房には枚方にも高麗橋のショールームにもバイオリン弓、ビオラ弓、チェロ弓各種数本づつ用意しています。
どうぞ手に取って試奏してみて下さい。 you-tubeチェロ弓の試奏動画 ←ここをクリック
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2020年9月7日 バイオリン工房クレモナ 高麗橋ショールーム
京橋の工房を閉めて、中之島の少し南、中央区高麗橋4-7-5に移転しました。クレモナで修行していた時はマエストロ
ステーファノ・コニアの工房もマエストロ ジョ・バッタ・モラッシーの工房も道路からよく見える1階にありました。
マエストロ レナート・スコラールヴェッツアの工房はパルマの田舎にありましたが、その地域では誰もが知っている屋敷が
仕事場と住まいになっていました。
私もいつかは1階に工房があり、道を歩いているとガラス越しに私が作っているバイオリンが見えるような所で仕事を
したいと思っていました。今度の新しい工房は大阪のビジネス街にあり、道から店内がよく見えます。
工房の近くには、フェスティバルホール,そして、毎年4月もしくは5月に行われる関西弦楽器製作者協会の展示会場の
大阪市中央公会堂があります。大変交通の便の良いところに工房を持てたので大変うれしく思っています。
車で来られる方は環状線土佐堀出口から1分です。近くには大きな府営駐車場もあります。短時間なら工房前に停めることもできます。
私の工房のショールームは一般の楽器店とは違って、イタリアやフランスなどで作られた楽器を展示しているわけではありません。
展示してある楽器はすべて私が作った弦楽器です。職人が一人で運営する新しいタイプの店です。
イタリアのクレモナではこの方式が普通で、ルネッサンス時代から続いている楽器工房のあり方です。
この方式は京都で言うと、長年続いている小さな家内経営の和菓子屋さんのようなものです。自社製のものを自社で販売します。
バイオリンは3/4、7/8も用意しています。弓も同じく分数弓も用意しています。
ビオラは39cm、40cm、41cm、41,2cmと4種類そろえています。 すべて私が作ったものです。
楽器修理調整、毛替えもおこなっています。 9月10日からオープンします。どうぞお越しください
●地下鉄四つ橋線肥後駅 7番から徒歩2分 ●地下鉄御堂筋線淀屋橋駅 12番出口から徒歩4分
●地下鉄本町駅 25番出口から徒歩8分 ●地下鉄北浜駅6番出口から徒歩10分
●バイオリン工房の2軒となりはトヨタレンタカーです。
〒541-0043 大阪市中央区高麗橋4-7-5 淀屋橋三共ビル102 TEL06-6203-3334
営業時間 午後2時〜6時 月曜定休 営業カレンダー をご覧ください。
職人一人の店なので臨時休業がたまにあります。
2020年8月28日 ニコラ・ラッザリ Nicola Lazzariとの思い出
私がイタリアに行った1981年ニコラ・ラッザリはすでにクレモナバイオリン製作学校を卒業して、マエストロ ジョ・バッタ・モラッシー
の所に弟子入りしていました。私はクレモナの製作学校に通いながら、マエストロ コニア・ステーファノの所で2年弟子入りをして
その後、ジョ・バッタ・モラッシーに弟子入りしました。その時モラッシー工房ではニコラと私が仕事をしていて、息子の
シメオーネ・モラッシーはまだバイオリン製作学校の学生で週に1〜2回学校の授業が早く終わった時に、工房に出入りしていました。
上の写真は1984〜5年、私が3回目の引っ越しをして想い出深いクレモナ郊外のピチェネンゴ村に住んでいた時
のものです。この写真の左が私の住んでいた部屋の出入り口でした。この建物に住んでいたのは私一人で、
部屋は数え切れないほどありました。野良猫や野ネズミがいっぱいいました。不思議なことに怖いと思ったことは
ありませんでした。
左からナディア・マントヴァーニ、マノッロ・ベラスケス、シメオーネ・モラッシー、ニコラ・ラッザリ、
ツェン・クワン、そして私です。右から2番目のツェン・クワンは中国の一番最初の留学生でした。
私はクレモナの学校を1年在籍し、その後パルマの学校に転校しました。この時期パルマ・コンセルバトリオに
二人して通っていました。私も彼もクレモナとパルマの学校を両方通いました。
シメオーネは製作学校を卒業して親父さんの工房で働き始めたころです。
マノッロ・ベラスケスは私がクレモナの学校の1年生に在籍していた時の同級生です。
ナディア・マントヴァーニはこの写真の時期から数年後パルマの製作学校が閉まり、ミラノで製作学校が開校し
たので、マエストロ レナート・スコラールヴェッツアと共に教師になり、その後ミラノの楽器製作が栄えていきます。
話は複雑ですが、パルマのコンセルバトリオのバイオリン製作科は閉まりますが、 レナート・スコラールヴェッツアの
居住地近くの村に製作学校が開校したので、彼はミラノの教鞭をやめて、再びパルマで教鞭をとります。
そのパルマの学校は現在、娘のエリーザ・スコラールヴェッツアが教鞭をとっています。
私がパルマの学校の最終学年4年生の時に、エリーザが1年生で入学してきて、1年間レナート・スコラールヴェッツア
の下で共に学びました。話は前後しますが、このピチェネンゴは軒(のき)が長く広いので、遊ぶのにうってつけでした。
郵便配達の人がある日、バーベルセットをくれました。シメオーネにバーベルのことを相談すると、彼の知り合いの鉄工所
にベンチプレス台を作ってもらい、それはいつも軒の下においてありました。ちょうど下の写真の緑の車があるところです。
ニコラ、シメオーネ、バルツァリーニそして私が週に2回集まり、皆でバーベルトレーニングを楽しみました。
トレーニング成果を見るために、メジャーで上腕や前腕の太さを測ると、測定結果を家の柱に書き込んでいました。
昭和の日本人も家の柱に身長を書き込んでいましたが、イタリア人も同じようなことをして楽しんでいました。
上の写真はピチェネンゴのカッシーナ(大農家の住まい)で初めはこの広いところに私一人で住んでいました。
後にドイツ人、ベルギー人、スウェーデン人、ナポリ人、そして日本人の私の5人が住むことになります。
この写真を見ると車が数台あるので、1984〜5年の写真です。私は楽器も売れ始め、写真中央の銀色の
フランス製のシムカ1000tに乗っていました。この車はリア―エンジンでアクセルを踏むと後方からものすごい爆音が
していました。形式はポルシェと同じですが、スピードは全く出ず大きな音ばかり出ていました。ただ、ぬかるみを走った時は
車両重量が軽く止まることなく良く走りました。
あの日から40年近くたち、ニコラも私もよく似た髪形になりました。髪形というより毛そのものがなくなりました。
この写真は2019年秋、大阪京橋の工房で撮影したものです。時間の経過とともに、日本もイタリアも色々移り変わりましたが、
ニコラと私の友情は変わることなく二人が合うといつも、モラッシーの工房に居た時にタイムスリップして想い出話に花が咲きます。
1983年頃 20代の私たちと40代の親方モラッシー 3人とも昔は髪の毛がありました。この写真はモラッシーの工房で
左後ろに見えている車は親方の愛車 ランチャです。ヨーロッパはまだ統合していず、通貨はイタリアリラでイタリア人みんなが
夏には1ケ月以上バカンスをもつことができた、今と比べるとのんびりした夢のような時代でした。
2020年8月21日 チェロ弓フロッグ製作 奥がオリジナル 手前が私が作ったフロッグ 奥がオリジナル 手前が私が作ったフロッグ
オールド弓で長年使用され、フロッグとスティックの設置面に隙間ができフロッグの安定が悪くなっている弓があり、
オリジナルのフロッグはそのまま保存しておき、新たに同じものを作ってほしいと製作依頼がきました。
初めは黒檀の塊から作り始めます。ちょうどコントラバスの指板交換で手元に残った古い指板があったので
そこからチェロ弓のフロッグ材として使いました。
フロッグ作りには金属や貝が使われます。半月型のリングの部分は厚み1.2mmの銀の板と0.5oの銀の板を使います。
それらを糸鋸を使って既定の大きさに切り、材料に焼きなましを入れ軟らかく加工しやすくして成型していきます。
接着剤は銀ろうと呼ばれる低温で溶ける金属を使って溶接します。
リングが仕上がるとこのリングに合わせてフロッグを削り、はめ込みます。
貝を入れ、スクリューのメスネジを取り付け完成です。オリジナルは弓の毛を張った時、左右に遊びがありグラグラと
動いていましたが、新しく作ったものは新作弓のようにしっかりと固定されています。
フロッグの寸法はすべてオリジナルと同寸法にしたので同じ形のものに仕上がりました。
2020年7月17日 バイオリン弓チェロ弓完成しました
|
2020年7月1日 材料販売始めました。 材料販売ページはこちら
それぞれの材料には値段と製材年が書いてあります |
20年乾燥させた割材です |
20年乾燥させたボスニア産カエデです |
2020年6月15日 グアルネリ・デル・ジェズモデルバイオリン完成しました
新型コロナウイルスの影響で、4月5月は京橋店は閉めていて午前も午後もずっと枚方で仕事をしていました。
私達バイオリン職人は一部屋と作業机があれば楽器製作の仕事は完結できます。このバイオリンはとても集中して、一気に作ることができました。
私の仕事振りは月の満ち欠けに大変大きく左右されます。満月の時は大変活力的になり、夜遅くても仕事が進みます。
もしくは朝の3時か4時に目が覚め、早い朝食をとり、そのまま仕事をします。この現象は40年前からずっ続いています。
今は古民家が仕事場になっているので、朝早くても夜遅くても周りに気を使うことなく、24時間仕事ができます。
都合の良いことに、斜め向かいがお豆腐屋さんなので、お隣さんは毎朝3時頃から仕事を始めています。
6年前、ここに引っ越しして私にとっては理想の仕事環境です。
2020年6月6日 バイオリンニス塗り
バイオリンのニスを塗っています。最近はアンティーク仕上げのバイオリンを多く作っています。
6年前枚方に引っ越して、古民家に住んでから、バイオリンのニスも古めかしい色合いに塗るのが好きになりました。
40年前バイオリンを作り始めた時、ニスはスプレーで塗ったようにむらなく塗るのが基本で、イタリアに滞在して
いた時はそのようなものばかり作っていましたが、今から思うと10年単位くらいで、作風は少しづつ変わって
いきました。オールド仕上げで古めかしくニスを仕上げるのも、それなりに難しく色々と創意工夫をしています。
5月15日(金)から京橋店の営業始めます。 京橋店は毎日午後14:00〜18:00営業いたします。
枚方工房は毎日午前中営業 9:00〜12:00、 定休日は今までと同じ、月曜日です。
■移転のお知らせ
今年の9月頃、京橋店は、より市内中心部へ引っ越しします。枚方工房は従来通りです。
イタリア原産のカエデ Acero argento |
枚方の庭で育てて10年目くらいの人文仕立ての盆栽です。このカエデは日本のカエデのように
秋は紅葉しませんが、
春の新芽が出るとき少し赤い色がつきます。盆栽になるとイタリアのカエデでも、わび、さび感がでてきます。
新型コロナウイルスの影響で世界中は暗いニュースばかりです。今日はコロナの影響を受けていない
植物を紹介します。私は毎朝、庭の緑色を眺めていると心はやわらぎ、リラックスすることができます。
毎年4月になると、バイオリンの表板の材料となっているアベーテロッソ盆栽の新芽が出てきます。
今年はこのアベーテロッソの根の動きを見ようと思ったので、1年前に鉢に植えていた一つの盆栽を
透明の瓶に植え替えました。私は小学生の時、夏休みの宿題で牛乳瓶に土を入れ、蟻を飼育し、
瓶の外側から蟻の巣の状態を観察できるようにしていました。それと同じことをアベーテロッソ
でやりました。利用した瓶はイタリアのお酒のボトルでバイオリンの形をしているものです。
瓶の口の上の方を割り、底には穴をあけました。そして一年が経ちました。
2020年4月には上手く観察することができました。
写真上左は挿し木から育て始めて、10年くらい経つアベーテロッソの盆栽です。
鉢となっているボトルの裏側は光が当たらないように、板をゴムバンドで止め遮光しています。
毎朝水をやる時にその板をはずし、根の成長を観察しました。2月までは新しい根は出ていません
でしたが3月に入ると、一雨ごとに真っ白な新しい根が成長しはじめました。
3月の終わりになるとその根は瓶の底まで達しました。多分夏になると白い根も茶色に代わって
いくと思います。植物の成長は地上の枝より、土の根から始まっていることがわかりました。
植物の地中の中の根の成長を観察できたのは初めての体験でした。今日も水やりをしていると、
市の街宣車が「緊急事態宣言発令中です。不要不急の外出は自粛してください」と廻っています。
街はひっそり、植物やめだかはいつもとなにひとつ変わっていません。
毛替えの場合は、弓ケースに梱包して、宅配便でお送りください。宅配便が到着後、すぐに毛替えをして
返送しますので、2〜3日後にはお客様の手元に届きます。
宅配便の送料はお客様負担。こちらからの返送便送料はバイオリン工房が負担します。
毛替え料金のお支払いは佐川急便の代引きとなります。振込希望の方は入金確認後、宅配便でお送りします。
弓毛替え (税込価格)
Vn |
Va |
Vc |
Bass |
|
分数楽器 | 4,500円 | 4,500円 | 5,000円 | |
普通馬毛 | 5,000円 | 5,000円 | 6,500円 | 7,000円 |
高級馬毛 | 7,000円 | 7,000円 | 8,500円 | 9,000円 |
最高級馬毛 | 8,000円 | 8,000円 | 9,500円 | 10,000円 |
2020年3月30日 音の聴こえる椅子
最近椅子を作りました。20年ほど前から、2年に1脚位のスペースで椅子を作っています。
過去には渦巻の椅子、f孔の椅子、ト音記号の椅子など結構手の凝った椅子を作りました。
今回はとてもシンプルな弦楽器の駒の背もたれ椅子を作りました。
椅子や机は毎日使うものです。毎日良いものに触れると日々の生活にも潤いが出て、生活が
豊に感じられます。
この椅子は「音の聴こえる椅子」シリーズの第1号椅子です。仕上げにはバイオリンのニスが塗ってあるので
良い香りもします。椅子の製作工程をyou-tubeにupしました。you-tube「音の聴こえる椅子」
この椅子は販売品です。材料は背もたれがウォールナット、他の部分はすべてナラの木です。
1脚税込88,000円です。この椅子は足は長めに作ってあるので、購入時、当工房で高さ調整します。
製造直売なので当工房のみでの販売です。
お問い合わせはメール、電話でバイオリン工房クレモナまで。
このビオラのラベルを見ると1996年と書いてあります。私がイタリアから帰国したのは1992年なので
帰国して4年後、今から見ると初期の時期に作ったビオラです。このころ私は高槻市の国道171号線沿いに
工房を構えていました。2002年のある日、初老のKさんが青年の小寺さんを伴い来店されました。
この方のためにビオラを1本捜しています。その時手もとにあったのが、1996年作のこのビオラです。
そしてこのビオラはKさんを通して小寺さんのものとなりました。
小寺さんとは今も楽器のメンテナンス・毛替えなどでお会いします。
---自己紹介-----
小寺洋一 こでらよういち 京都市在住
大学での実験中に大けがをし失明
ビオラは、その少し前から始めていて失明後も継続、一時期はアマチュアオケなどで活動
その頃、2002年、ある方の支援で現在のビオラに
楽器演奏を趣味で楽しみながら、時折 小学校などで演奏
臨床心理士 スクールカウンセラー
個人サイト
著書に「白い杖のひとり旅 ニュージーランド手探り旅行」(連合出版)
キンドル 「オのつく趣味と恋物語」
視覚障害当事者の声を届けるメールマガジン「色鉛筆」編集スタッフ
http://kyosikyo.sakura.ne.jp/contents/read/id/33
https://www.nasunoyoichi.com/special
4月29日(水)30日(木)大阪市中央公会堂での関西弦楽器製作者協会の展示会の出展する
バイオリンです。このバイオリンは私が初めて作った特別仕様のスペシャルバイオリンです。
バイオリンの価格も120万円と少し高くなります。
このバイオリンの表板は屋久杉です。まるでカエデのような模様が出ている表板です。
世界中探しても、なかなかこのような模様の木は見つかりません。また見つかったとしても、
木の繊維がねじれていて作業するにはとても難しい材料です。
部品は糸巻とアゴアテとエンドピンにスワロフスキーのブルーのガラス細工が入っています。
テールピースは私の自作で浮き出し模様の彫刻が施してあります。展示会に出展しますが、
工房に置いてあるのでぜひ試奏にお越しください。屋久杉を使った第3号バイオリンです。
アンサンブルモ-ツァルティアーナのコンサートマスター
花房俊昭氏は2007年作の私のバイオリンを使用されています。 |
2020年2月23日15時 いずみホールにてバレエ協賛出演の「チャイコフスキー白鳥の湖」の
演奏会が行われます。
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製作中のパガニーニ カノーネモデル
ジェノヴァ市が所有しているグアルネリ・デル・ジェズの写真を見ながらオールド風のニス塗りを
仕上げています。表板は強い虎杢の入った屋久杉を使っているので、どんなニスを塗っても
材料素材そのものの個性が強く、パガニーニのバイオリンに似せることはとても無理でした。
しかし、表板は雷のような模様が入っているので、雷神屋久島バイオリンと命名しました。
岩井作canone |
パガニーニのcanone |
ニスの色合いはもう少し暗めに修正していきます。まるで油絵の模写をしているようで、新作の
全くムラのないバイオリンとは正反対のものです。
地味な虎杢のカエデ材 |
派手な虎杢の表板 |
2020年4月29日(水)30日(木)開催の関西弦楽器製作者協会展示会に出展するバイオリン
パガニーニモデルを作っています。裏板はオリジナルと同じように、大変地味な虎目の少ない
あがり杢のカエデです。普通バイオリン作りは虎杢のきれいなものを好んで使いますが、
このような地味なカエデはほとんど使うことはありません。もう使うことはないだろうと思っていた
カエデ材が今回活躍することになりました。この材料はまだイタリアに住んでいた頃の30年以上
前に購入した材料です。充分乾燥しています。
表板は裏板のカエデの虎杢よりはるかに強い虎杢が入っています。普通針葉樹にはこのような
強い虎杢はでません。大変珍しい材料です。
現在、屋久杉伐採することは禁止されていますが、40年前は日本では一般的な材料として家具
などに使われていました。先日テレビで紹介されていた屋久杉は樹齢4000年で、まだ元気に成長して
いるとのことでした。すでに製品となっているテーブルや家具など、根気よく探していくと日本には
このような多くの屋久杉製品がまだまだ残っています。
バイオリン表板材料の大きさなら出会えるチャンスはあります。
どうぞ、4月の展示会にお越し下さい。
2020年1月1日 謹賀新年
明けましておめでとうございます
イタリアのクレモナへバイオリンの修業へ行って、今年で39年目に入ります。
あの日から来る日も来る日もバイオリン製作を続けています。今になって思うと私の作った
バイオリンを購入してくれた方がいたから続けられたわけで、私を応援して下さった方々に
厚く御礼申し上げます。これからも楽器製作を一生続けようと思っています。
「アウローラ」1号バイオリン
黒田工房から入手したこのカエデ板はアウローラと命名します(伊語でオーロラ) |
モデルはクレモナの市役所が所有しているグアルネリ・デル・ジェズExズッカーマンモデルです。
このバイオリンの裏板は私のyou-tube「楓裏板と横板の木取り」で紹介した畳一帖位の
大きな一枚板のカエデから木取りした1号目のバイオリンです。この板も黒田辰秋氏の工房
から入手したものです。このカエデは「アウローラ」と命名します。オーロラのイタリア語です。
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屋久杉バイオリン2号完成
このバイオリンの表板は屋久杉を使用しています。この屋久杉も黒田工房から来たものです。
屋久杉バイオリンの第2号となります。数日前に完成しました。表板屋久杉。裏板ボスニア産カエデ
興味のある方、試奏してみてください。
実はこの屋久杉バイオリンのほかに、同時進行で、神代杉バイオリンも作りました。
一昨日弦を張り、音出しをしました。しかしこの神代杉のバイオリンは音が良くなかったので、
もう一度表板を作り直して再製作することになりました。
2019年12月20日 東京での試奏バイオリンのお知らせ
私岩井制作のバイオリンが東京でも試奏できるようになりました。
どうぞ手に取ってお試しください。その場での試奏は無料です。
レンタルは1ヶ月25,000円です。(税込)
お問い合わせ、予約は下記のメールへ
nahovn@yahoo.co.jp 柴田奈穂 東京都練馬区(西武池袋沿線)
Maestro Gio Batta Morassiの推薦文
岩井孝夫はクレモナとパルマにて楽器製作を学んだ後、私ジョバッタ・モラッシーのもとに
弟子入りし修行を積み、より深く楽器製作を学びました。
そして数多くの展示会や楽器製作の楽器製作コンクールにて好評を得ました。
彼の楽器は特に音質が良く、演奏家達からも評価が高く、また均整のとれたエレガントな
曲線はまさしく伝統あるクレモナススタイルの楽器です。
柔らかく輝きのある琥珀色のニスに包まれた彼の楽器はきっとあなたを満足させることでしょう。
Dopo un periodo di studi della liuteria nelle scuole di
Cremona e Parma, Iwai Takao ha
completato la sua
formazione sotto la mia personale guida, raggiugendo lusinghieri risultati
in varie mostre e concorsi.
I suoi
strumenti, molto apprezzati dai musicisti per le qualit`a acustiche, sono
costruiti
secondo i principi della scuola classica
cremonese, con elegante e armonioso modello, con
ottima
scelta di legni e di fine lavorazione con spiccata personalit`a.
La vernice morbida e corposa, si presenta di colore rosso
bruno con gradevole sottofondo
giallo.
Sicuramente in avvenire potr`a avete grandi soddisfazioni
con i propri strumenti.
|
2019年12月2日 2008年岩井作のバイオリン
今回のyou-tubeは大阪府高槻市在住のバイオリニスト阿佐聖姫子さんです。このバイオリンは
2008年に高槻で制作したグアルネリ・デル・ジェズモデルです。
阿佐聖姫子さんの経歴
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部卒業後、ドイツへ渡り、2017年3月に
ニュルンベルク音楽大学大学院修士課程弦楽器科を首席修了。
2009年エウフォニカ管弦楽団、2015年関西フィルハーモニー管弦楽団と共演。
2015年12月、フェニックスホールにてソロリサイタルを開催。
2016年、ドイツ・バイエルン州にある2つのプロオーケストラにて研鑽を積む。
これまでに、東京・大阪・ドイツ・フィンランドにてなど国内外で多数のコンサートに出演。
2017年3月、ドイツから帰国後は関西を拠点に、ソロ・室内楽・オーケストラと幅広く演奏活動を
行っている。
同年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子どもの為の音楽教室(茨城教室)非常勤講師。
オフィシャルサイト: https://www.asaseiko-official.com/
■2019年11月18日枚方のバイオリン工房で録画しました。you-tubeのページはこちら
2019年11月18日 大阪の自転車骨董市シクロジャンブルと岩印の焼き印
11月17日(日)にイタリア・クレモナでバイオリンを作っている菊田浩さんと一緒に大阪服部緑地公園内で
毎年行われるシクロジャンブルという中古ツーリング自転車の交換会に行ってきました。
私も彼もお互いに40年以上前から自転車が大好きです。彼と初めて出会ったのは私がイタリア・クレモナから
バイオリンの修業を終えて日本に帰ってきて間もない頃です。私が京都・亀岡に住んでいて、「バイオリン
製作ビデオ」を製作販売しており、彼はこのビデオを購入したお客さんでした。
その時、彼はNHKの社員で趣味でバイオリンを作っていました。私の家で話をしていると、自転車、
ギター、バンジョー、マンドリンそしてオーディオなど同じ趣味を持っていました。
話が弾み、彼はギター私はバンジョーでデュエットしたのがきっかけで大変親しくなっていきました。
NHK社員時代の菊田さん・亀岡工房にて |
ドロミーテ・サンペレグリーノ峠にて |
その後、私は日本で仕事、菊田さんはイタリアで修業、しかし年に1回は私の家に遊びに来るのが
かれこれ20数年続いています。今年は一緒にシクロジャンブルに行きました。
菊田さん・佐々木さん・私の3人ショット |
カンパニョーロの製造経歴説明を得る |
二人ともいくつかの自転車の中古部品を買って大満足でした。会場は公園内にあり、自転車好きが
集まっているので大変和やかな雰囲気で至福の時でした。私も彼もイタリアに長年住み、カンパニョーロ
という自転車部品のコレクターになりました。今回会場を廻っていると変速機カンパニョーロの全てを
網羅した写真入りの素晴らしい本が販売されていました。この本はイタリアで販売している物より
はるかに詳しい内容の本でした。そのコーナーで話しているとこの本の著者佐々木英樹さんが居られて
二人は大喜びし佐々木さんの本を買い、その本にサインをもらい、さらに喜びました。
著者佐々木英樹さんにサインをもらっているところ |
カンパニョーロ・マニア必見の本 |
あるコーナーでは自転車の部品でない物まで売っていて、年代物の使い古された、まんじゅうやかまぼこ
などに押される焼き印が100本ほど売られていました。よく探してみると「岩」印のものがあり、これを
買えばバイオリンニ内部のブロックの目印に使えると即購入しました。
この中から岩印しの焼き印を発見 |
焼き印をバイオリン内部にいれる |
私たちの一番の目的は、その会場の雰囲気を味わうことで、私達は長年の自転車愛好家ですが、
そこに集まる人たちはマニアの中のマニアの自転車百科事典のような人達ばかりで、私達は知識の
浅いかけだしマニアとなります。私達は会場の展示中古自転車の前であれこれ薀蓄を語っている人に
近づき、聴き耳をたてて情報収集したり、質問をしたり、その会話が楽しくてたまりません。
私がイタリアに行った時は、二人でクレモナの「2輪車骨董市」に行き同じようなことをやっています。
どこの国でも2輪愛好者は感覚的に気が合います。
あの和やかな雰囲気は一度体験するとなかなかやめられません。
私達は永遠の自転車愛好家です。
2019年11月5日 神代木のバイオリン
植木鉢ではなく石の上で育っています |
少しの土ですが元気に育っています |
現在 神代杉を使ったバイオリンを作っています。9月20日のトピックスに記事を少し書きましたが、
大工の棟梁Aさん(83才)から多くの種類の材料をいただきました。その中に神代杉も入っていました。
大きな板材なので、バイオリンの大きさに切って、その材料で現在制作中です。
その前に少し神代木の説明をします。小学生の時に石炭や石油は地中に埋もれた植物からできたと
習いました。あまりにも時間の経過がありすぎて、実際にはそんなものかくらいにしか思いませんでしたが、
1992年にイタリアから日本に帰った私は最初は京都の亀岡に工房を構えました。イタリアに12年ほどいたので
向こうでは石造建築の中に住み、クリスマスツリーのような円錐形の大きな木を毎日見ていました。
日本に帰国してからはそれと反対の日本建築や日本庭園や盆栽にとても興味が湧きました。
帰国して間もない亀岡に住んでいる時、石の上に蝦夷松が付いている石付き盆栽を購入しました。
残念なことに数年経つと私の管理が悪かったので枯れてしまいました。
1992年にイタリアから帰る前にモラッシーの実家の山に行き、バイオリンの表板に使われる
アベーテロッソの松ぼっくりを記念に持って帰ってきました。
半信半疑で松ぼっくりの中の種を冬場に土の中に埋めると翌年の春にはそのアベーテロッソの
新芽が出てきました。それは植木鉢の中で数年育ち、少しづつ大きくなっていきました。
一方、枯れた蝦夷松は石だけになったので、4〜5年育った植木鉢のアベーテロッソを石の上に
植えつけました。そのアベーテロッソは枯れることなく数ミリづつ大きくなり、この20年以上元気に
育っています。上の写真がそれです。今年で実生から27年目です。
ここで本来の神代杉の話に切り替えます。上の写真の石の部分をよく見ると、樹木が化石化したことが
一目瞭然です。
この石、元は木だった事が見てとれます |
写真では分かりにくいかもしれませんが、近くでこの石を見ると誰が見てもとは丸太だったことが
分かります。しかしこうなってしまうと、樹木ではないので、堅すぎてバイオリンの表板には使えません。
ある条件が重なり、沼地や池の中で残ったものは石にならず、木の状態のまま、何百年か何千年か
そのままの状態で残るものがあります。それが神代木です。
いただいた神代杉を鋸で切ってみるといつも使っている材木より木のにおいも少し違っていました。
鋸の削りかすも普通ならば細かい粉は浮遊するのですが、神代杉の粉は少し重たいのか、早く
地面に落ちる感覚がありました。
屋久杉のバイオリンと神代杉表板 |
現在枚方の工房では表板を屋久杉でバイオリンを作っています。また、京橋の工房では表板を神代杉で
バイオリンを作っています。横板や裏板は従来通りのジョバッタ・モラッシーから購入したカエデです。
2本ともボディまで仕上がったので、あとネックを仕上げ、ニスを塗ると仕上がります。
12月か2020年の1月には2本が完成します。ぜひ試奏にお越しください。
2019年10月27日 ビオラダモーレ完成
東京で開催される第62回弦楽器フェアに出展するビオラダモーレ完成しました。このような楽器は
20年に1本ほどしか作らないので、完成した時には大変達成感があります。
バロック楽器なので現在のバイオリンやビオラとは似ているようで大きく違います。
ネックの取り付け角度や指板の形状、テールピースや糸巻などすべてが違います。
特に渦巻の代わりに人の顔が付いているので、作り慣れない彫刻に時間がかかりました。
このビオラダモーレは7本の弦と駒が特別な構造をしていて、駒の真ん中に7個の穴があいていて、
7本の共鳴弦が取り付けられ、1本の楽器に14本の弦が付いています。
このビオラダモーレ専用にオリジナル鳥フロッグのバロック弓も作りました。
11月1日(金)〜3日(日)千代田区北の丸公園の科学技術館での展示会に出展します。
この楽器のほかに、バイオリン・ビオラ・チェロも出展します。楽器試奏コンサートにも参加します。
2019年10月14日私たちのマエストロ レナート・スクロラヴェッツァが92才であの世に旅立ちました。
私はパルマ音楽院在学中、マエストロ レナート・スクロラヴェッツァから多くのことを学びました。
PASSIONE(情熱) PAZIENZA(忍耐) AUTOCRITICA(自己批判)この3つがバイオリン作りには
必要だと彼から習いました。不思議なことにスクロラヴェッツアが亡くなる2日前に何十年ぶりかに夢で
スクロラヴェッツアに逢いました。私の家ではそのことは話題になっていました。その2日後に
娘のエリーザ・スクロラヴェッツァから「昨日父が旅立ちました」との連絡がありました。
こういうことを虫の知らせと言うのかもしれません。ご冥福をお祈りします。
パルマ音楽院の製作教室にて
2019年10月12日 バロック弓 ビオラダモーレ用
東京の弦楽器フェアも近づいてきました。バイオリン・ビオラ・チェロは完成しましたがビオラダモーレは
今ニスを塗っていて、ビオラダモーレ用の弓とテールピースと駒などを現在制作中です。
鳥の形をしたオリジナルフロッグのバロック弓は20年ぶりに作っています。
この白い材料の塊はイミテーションの象牙です。私がイタリアに住んでいたころ楽器展示会でパリの
ムジコラに出展した時、会場でこの材料を入手しました。みんながこういうものを使えば象のためにも
なります。
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2019年東京・弦楽器フェア出展の弓 |
20年前に作った鳥のフロッグ |
写真上右は20年前に作ったフロッグで左は今作っているものです。毛替えするときフロッグが壊れない
ように毛箱にも補強の柱を付けました。よく見ると左は足が2本と尾、それに補強の柱が付けてあり、
合計4本になっています。
右写真のものは合計3本です。これでは毛替えが不安なので今回製作のものは改良しました。
自作ビオラダモーレ用テールピース |
テールピースの材料はシャム柿を使いました。指板も同じ材料です。糸巻17本を現在自作しています。
すべてシャム柿で統一しました。写真では黒色に見えますが、肉眼ではきれいな模様が入っています。
もう少しするとビオラダモーレ完成です。
少し前にこのトピックスでも紹介した、大工の棟梁Aさんから頂いた美しい材料とは別に、100年前の
古民家解体で出た襖の中に入れ込まれた組子の障子を6枚頂きました。
6枚の組子 |
美しい直線美の組子 |
それらの6枚を再利用しテーブルとスピーカーキャビネットを作りました。この組子が使われていた家は
現在解体した古民家で家が作られた当時、しつらえで作られたヒノキの組木です。近くで細部を見ると
100年前の職人は障子と言えどもいかに立派なものを作っていたかということがよくわかります。
材料もヒノキなので色こそ茶色ですが、昨日完成したような印象を受け100年使ってもどこにもゆがみや
捻じれは出ていません。木工職人である私が見ても驚くばかりの仕事ぶりです。
逆さにしてキャビネットになりました |
18年目のリニューアルスピーカー |
頂いた障子の寸法がちょうど私が18年前に自作したタンノイオートグラフの寸法とぴったりだったので
スピーカーキャビネットとして、はめ込み式にして取り付けました。
組子テーブル |
軽量なので移動がとても楽です |
この組子は100年間襖として使用されました。今度は私の工房のお茶を飲むときのテーブルとして
再利用されます。バイオリンも家具も釘を使わずに作られたものは本当に長持ちするものと今更ながら
再確認しました。
最近は1年間に2本ほど実験的なバイオリンを作っています。私はバイオリン製作の多くのことをイタリアのクレモナ
で学びました。ステファーノ・コニア、ジョ・バッタ・モラッシー、レナート・スコラールヴェッツァ達から学べたことは
とても幸運でした。彼ら達から学んだことはオリジナリティが一番重要だということでした。どこにでもあるもの
でなく、また何かをコピーするのでなく、ここにしかない物を作ることです。それらのことの一環として、実験的な
バイオリン(良い音の出るバイオリン)を作っています。一般的にバイオリンの表板はイタリアドロミーテ産の
アベーテロッソが一番とされています。今回私は日本産の屋久杉をバイオリンの表板に使いました。
それも板目の一枚板を使用しました。これで見た目の外観は、日本産の何かであるということは一目瞭然です。
私は大阪を拠点に仕事をしています。ここ大阪では食べ物もファッションもこの地域独特のものがあります。
そこで生活している人々は一般常識を気にすることなく、自分の好きなものを所有するという気質があります。
杉を使った板目のバイオリンなど、大阪以外の県ではアマチュアの趣味生活のように見られますが、
私の作ったバイオリンを見て、「こんなバイオリンは見たことがない」そして試奏してみて、即購入の人が現れました。
もちろんこの人は大阪生まれの大阪育ちのバイオニストでした。
バイオリンは音が一番で、2番目は珍しいものがいいとのことでした。
その方が以前所有していたバイオリンはヨーロッパ製の見事な1枚板の虎杢のバイオリンでした。
しかし、屋久杉の表板は写真のように鶉杢が出ていて、そこからは天上の響きと共にf孔の穴から
バイオリンを弾き続けていると時たま、独特の香りがしてくるそうです。
屋久杉 表一枚板 鶉杢 |
私が柴田奈穂さんを知ったのは今から15年ほど前のことでした。その頃私の工房は高槻市にあり、彼女は毛替えに
客としてやってきていました。その時の私の記憶では、ある日、タンゴを聞き、タンゴバイオリンに魅せられその後
アルゼンチンに武者修行に行き、帰国後はライブ活動を始め、その後東京に拠点を移し、現在に至っています。
詳しいことは彼女のHPをご覧ください。Nahoviolin
今回は演奏を再録画することになりました。この録画を行ったのは9月で私の庭には蚊がいっぱいいて、
工房内にも侵入してきます。そのため、蚊取り線香を炊いたので録画画面上ではその煙が映ってしまいました。
しかし、タンゴの熱演だったので、そのままupしました。 you-tubeのページはこちら
2019年9月20日 バイオリンの表板となる神代杉
今年の7月にNHKのお昼前の番組「ぐるっと関西」でバイオリン工房クレモナが紹介されました。
放映直後、ある大工の棟梁から電話がかかってきてました。「私はすでに86才でもう使うことのない
とっておきの材料があるので木のわかる人にお譲りしたいと思っています。珍しい古材木があるので、
もしバイオリンに使えるならぜひ使って下さいとのことでした。その後その方がわざわざ枚方まで材木を
持って来られました。ヒノキ、ケヤキ、カヤ、ツガ、杉、色々な種類の古材をいただきました。
材料をいただいた棟梁と私 |
バイオリン用に製材した柾目の神代杉 |
その中でも特に古い神代杉という木材がありました。この木は火山噴火などによって、何百年もの間
沼か湖の中に埋もれていたものです。普通は腐ってしまうか石になるかのどちらかですが、
沼や湖の中にあったものは木の性質のまま残ります。50年ほど前は、ビル開発や高速道路の工事など
により、たまにそのような材料が採れたらしいです。
その方から頂いた材木は鋸で挽いた時にも明らかに普通の杉とは違う匂いと鋸の削りかすが出て
いました。 比重を計ってみるとなぜか、普通の杉よりも重たくなっていて、ドロミーテのアベーテロッソと
同じような比重になっていました。
手でたたくと古材特有のカン高い音がします。少し前に屋久杉でバイオリンを作りましたが、これは
とても良い音がしました。今度は神代杉でバイオリンを作ってみます。
ハギをして表板になる神代杉 |
平面出しをしたところ |
39cmと40cmの小型ビオラを製作中です。小型ビオラは弦長が短いので小型テールピースを
作る必要が出てきます。現在それを作っています。
38cmと40cmの小型ビオラ |
製作前と完成のテールピース |
右上写真はカエデのテールピースです。白いテールピースは製作前のカエデです。
上のオレンジ色はニスを塗って仕上がったものです。
溝を作っているところ |
2本のテールピース |
小型の鋸でテールピース先端に2mm幅の溝を付け、そこに黒檀の板をはめ込みます。
テールピースに使ったこのカエデは現在同時進行している、ビオラダモーレのネックの切れ端から
とったカエデ材です。きれいな虎杢が入っています。もう少しで小型ビオラ2本完成です。
このうちの1本を11月東京で開催の弦楽器フェア(日本弦楽器製作者協会主催)の出展します。
ハギのカンナ掛け |
表板と裏板のハギ完成 |
ビオラ・ダモーレボディ製作始めました。いつもの手順で表板と裏板のハギをします。
そして横板製作のため横板カエデの厚み出しとブロック成形をします。
横板が完成したら裏板製作に入り、その後内型を抜き、表板を作りはじめます。
横板の接着 |
横板の接着 |
私の製作手順はバイオリン、ビオラ、チェロそして弓(バイオリン、ビオラ、チェロ)と同時進行で
少しづつ仕事を行っています。何かの楽器の仕事が一段落すると他の楽器を作りはじめます。
仕事を休んでいる間に製作途中の楽器は、木の収縮やねじれなどが進行して自然乾燥します。
出来るだけ休み休み、一挙に一種類の楽器を仕上げずに、色々な楽器を作っています。
初めのうちは頭が混乱しましたが、40年近く続けているとこの方式の方が気分転換ができて
良いように思います。少なくとも私にとっては最良の方法です。
2019年8月16日 ビオラ製作
小型のビオラを2本製作中です。1本は39cm、もう1本は40cmです。
ビオラの裏板と横板 |
2本分のネックと指板 |
上の写真を見るとライニングの色が玉ねぎの皮のような薄茶色をしています。この色はクレモナ産の柳で
日本産の柳を使うと白色になります。その昔、30年ほど前にイタリアクレモナ郊外のpicenengoという村に
住んでいたことがあります。その時、近所の人から畑の境界線に使われている大きな柳を伐るので買わ
ないかと話があったので値段を聞くと、2本で100,000リラ(当時の日本円で1万円)だったのでこれなら
一生分のライニングとブロックが取れるので購入することにしました。木の直径は80cmで長さが2m
ありました。リヤカーに積んで近所のおじさんが運搬を手伝ってくれました。思い出の柳です。
表板の荒取り |
半年前に買ったSTUBAIの丸ノミ |
旋盤での穴あけ作業 |
弓製作用に改良した旋盤 |
ビオラの弓を作りはじめました。フロッグを移動さすネジが入る穴をあけているところが上の写真です。
この四角い弓の中心にまっすぐ3mmの穴をあけるのはとても難しい作業です。
旋盤を使っても道具なので使い手の細かい操作が間違うと微妙にずれてしまいます。
手動の電動ドリルで穴をあけるより、旋盤を使ったほうが精度が上がります。
弓の荒取作業 |
弓の製作道具の種類 |
弓のヘッド部分とフロッグのあたる八角形部分は初めに作ります。その後、四角形の弓を八角形に削り
最後に丸い弓に仕上げていきます。完成した弓は重量が必然的に決まっているので、木の比重によって
弓の太さが違ってきます。
弓の長さ、重量、弓の反り具合、物の個体差がほとんどありません。
たとえばバイオリンの膨らみやf孔の大きさやデザイン角度は大きく違い自由度が色々な個所で見られます。
弓の作業は自由度が少なく、どんな弓でも同じ作業をするのですが、仕上がった弓の操作性はおおいに
違ってきます。繊細極まりない作業が弓作りです。
本物のパガニーニのカラー写真 |
私が作ったパガニーニモデル |
パガニーニのバイオリンの渦巻きを作っています。ストラディバリの渦巻きの場合は右側も左側も
同じような彫刻がされていていますが、デルジェズの場合はそうとも限りません。
まず正面から見ると右左の渦巻きの中心がずれていて、どうもデルジェズ本人は左右対称に作ろうという
意識はほとんどなかったように思います。右側の渦巻きが完成するとそこで一旦終わり、新たに左側の
渦巻をいちから作りはじめるという感じです。それぞれの渦巻きは別物なのです。
たとえばこのパガニーニの場合、その製作年代の前後を探ってどのような変化を経て作っているのかを
知ろうとしても、一年経てば全く別人のようなモデルに変貌したりして、ストラディバリのように容易には
理解できないところが多々あります。
それでも色々資料を見ながら考えて作るので、ある意味とても興味深い作業となります。
答えの出ない難関な問題を解いているようなものです。
完成した横から見たf孔 |
下のカラー写真は本物のパガニーニ |
もう少しで白木バイオリンが完成します。
パガニーニモデルのバイオリンを作るのは三十数年ぶりです。イタリアのバイオリン製作学校の学生だった頃
一度作った記憶があります。それ以来なぜか一度も作ったことがありません。なぜならあまりにもアマティや
ストラディバリと違っていて好きではなかったからです。グアルネリ・デル・ジェズモデルの中でも、パガニーニの
モデルは特別です。ネックの渦巻きなどは、優雅なストラディバリに比べて大変無骨でニコラ・アマティや
ストラディバリが完成させたクレモナ派には見られない異質なものです。
膨らみの形状確認 |
原寸写真から型おこししたf孔 |
グアルネリ・デル・ジェズのバイオリンは有名なので多くの資料が出ています。それらの資料を基に膨らみの
ゲージも作り、可能な限りグアルネリ・デル・ジェズがどのような発想で楽器を作っていたかを学んでいます。
表板の膨らみには大変気を使って作っていたことがよくわかります。f孔や渦巻は外観的な奇抜さを意識して
作っていたように思いますが、膨らみはとても繊細です。仕上がったf孔を横から見ると、f孔の穴の部分が
横板ときれいに平行になっています。私の持っている25本分のグアルネリの資料のすべてがそうなっています。
あれだけ外観に気を使わないデルジェズが、表板の膨らみの中心部分にだけには異様なほど注意深く
作っています。きっとバイオリンの音と表板の膨らみの関係には重要なことがあると考えていたように
思います。 また膨らみを3次元的に理解できるとても有能な職人であったこともよくわかります。
一般的にバイオリン職人でもここの膨らみの部分はきれいに作るのが面倒なので、作業の手を
少し抜いたり、基本的な設計がf孔と横板は平行にならなくても良いと思考転換したくなるところです。
これだけずさんな投げやりなバイオリンを作っている人と、とても繊細な膨らみは、とても同一人物が
作ったとは理解しがたいバイオリンです。この複雑怪奇なバイオリンをパガニーニは死ぬまで愛用して
いました。
パガニーニのバイオリンの写真資料 |
f孔が仕上がった表板 |
イタリアに多く自生しているカエデの一つにAcero argento 日本語で「銀のカエデ」があります。
写真を見ての通り、この種のカエデは葉っぱの表は緑色ですが、葉っぱの裏は銀色に近い色です。
木が大きくなると下から見上げると銀色でとても美しいです。毎年梅雨時には枝が大きくの伸びるので
枝が1m50cm位になると剪定を行います。これくらいの大きさなら、枝の直径が2cm位で新芽は結構
軟らかく、ホームセンターの枝切り鋏で簡単に切れます。
剪定中の私 |
剪定した枝 |
最近はこのカエデも大きくなり、その木の下では木陰ができて盆栽たちは暑い夏を乗り切るのに
絶好の日陰場所となりました。このカエデも高さは高くせず、左方向に枝が長く伸びるように剪定しています。
現在4m位横方向に伸びています。この写真では分かりにくいですが、カエデの幹は右の端っこのほうにあります。
幹の直径は計ってみると14cmにもなっていました。
葉っぱの裏側 |
葉っぱの裏と表 |
あらためて写真に撮ってみると葉っぱもずいぶん大きくなりました。私の仕事場では窓の外を見れば
このAcero argentoの銀色の葉っぱが揺れています。そしてAcero argentoを見るとイタリアのクレモナでの
生活が思い出されます。
ようやくビオラダモーレの顔の部分完成しました。思っていたより時間がかかりました。普通のビオラの
ネック渦巻なら4本仕上がるくらいの仕事量です。でも完成したのでほっとしています。
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今年の11月東京で行われる日本弦楽器製作者協会主催の弦楽器フェアに出展するビオラダモーレの
製作を始めました。製作工程の中でネックの上に付いている人の顔が一番難しいです。
まずそこから始めました。
普通、 バイオリンの渦巻は左右対称とか、3周廻っている渦巻が曲線で滑らかに繋がっていることなどを
注意して作っていると美しい渦巻が仕上がります。バイオリンの渦巻はアマティモデルを使うと女性的な
渦巻になり、グアルネリ・デル・ジェズモデルを使うと男性的になります。
しかし、ビオラダモーレの場合は人の顔を作るのでもっと複雑になってきます。
左右対称よりも耳や目のバランスよりもそれぞれの部位の総合的な位置や形状が人間の表情となって
あらわれてきます。私達人間は意識しなくてもその表情を読み取ってしまいます。
よってバイオリンの渦巻きよりもビオラダモーレの顔は作るので何倍もの時間がかかります。
1983年頃、イタリアのクレモナには彫刻の学校もありました。丁度私はクレモナの製作学校にも通い、
彫刻の学校にも通っていました。そこではフェラローニという素晴らしい先生が指導していました。
粘土を使って人間の原寸大の顔の彫刻を作ったり、木の材料で人の顔を作ったりして、3次元の立体彫刻を学びました。
1983年頃のフェラローニ先生 |
来年の関西弦楽器製作者協会の展示会(会場 大阪市中央公会堂)では、パガニーニの
バイオリン、カノンの特集をします。本物のバイオリンが来る訳ではなく出展者の職人が
それぞれパガニーニのモデルのバイオリンを作ります。そしてそれらの音の弾き比べを
行います。
グアルネリ一族の説明を少しします。バイオリン作りのグアルネリは7人います。仕事をした場所も
3ヶ所あり、クレモナ、ヴェネツィア、マントバです。創始者のアンドレア・グアルネリはアントニオ・ストラディバリと
同じくニコラ・アマティの弟子です。
パガニーニが使っていたバイオリン カノンはヨゼフ・グアルネリ・バルトロメオ・ジュゼッペが作りました。
彼はアンドレア・グアルネリの孫にあたります。
彼のお父さん名前はヨゼフ・グアルネリ・ジュゼッペ・ジョバンニバッティスタです。
パガニーニのバイオリンを作った息子のヨゼフは自分のラベルに十字架のマークとIHSの文字を
書いています。どちらのヨゼフ・グアルネリかを区別するために、十字架マークのある息子の方を
グアルネリ・デル・ジェズと呼んでいます。
パガニーニはグアルネリ・デル・ジェズを使っていました。そのバイオリンは大きな音がしたので、
カノンと名前がついています。パガニーニは死後、ジェノバ市にそのバイオリンを寄贈しました。
ジェノバ市役所はそのバイオリンを一般公開しています。グアルネリ・デル・ジェズのバイオリンは
有名なので多くの資料が出ています。今回このバイオリンを作るために内型の型おこしから始めました。
30年ほど前に一度、内型は作ったのですが、私はパガニーニのバイオリンは、渦巻やF孔やボディの
アウトラインがあまりにも個性的なので好きではなく1〜2本作っただけでその後作っていません。
その内型もなくしてしましました。
クレモナの市役所に展示してあるグアルネリ・デル・ジェズのバイオリン(1734年Lo Stauffer)はよく作っています。
今回、原寸写真から型をとって気づいたのですが、クレモナのデル・ジェズとパガニーニの
デル・ジェズ(1742年)をパーフリングのところで型を切り取り、ボディアウトラインのすり減ったものを差し引いて
寸法を見てみると、バイオリンのボディのくびれたところの寸法は大きく違いましたが、ボディ上下の丸い部分は
2本ともほとんど差はありませんでした。だいたいグアルネリ・デル・ジェズの作ったバイオリンは1本1本
寸法が違っているのですが、これらの2本は製作年に8年の差がありますが、もともとあったバイオリンの
内型の胴体のくびれた部分を削り取り、同じ内型から改良型にした可能性もあると思いました。
このバイオリンは1年かけてゆっくり作ろうと思います。
2019年5月7日 屋久杉のバイオリン
この表板はとても良い香りがします |
裏板と横板はボスニア産のカエデです |
私は今年65才になります。この年になって初めて国産の材料で作ってみることになりました。
この材料は屋久杉の古材です。現在ではこの木は流通していませんが、30〜40年前は普通に使われていました。
数寄屋作りや高級料亭の天井の板に使われていました。板目になると屋久杉特有のきれいな模様がでます。
私が入手したこの木もそれらに使う用途で板目に製材されていました。
普通、杉の木はアベーテロッソと比べると比重が軽く、バイオリンの表板にはあまり適していませんが、
この屋久杉は1mmの間に年輪が3本か4本入っています。とても厳しい環境で少しづつ成長したものです。
だから普通の杉より比重があり、油分が多く残っていて豆カンナで削っているとヒノキと杉の中間の
ような匂いがしています。この板を入手した時は表面はこげ茶色に日焼けしていましたが、削っていくと
艶のある狐色になりました。木の中全体がこんな色になるのは伐採されてから相当の年数になっていると
思われます。完成して音を聞くのが楽しみです。
よく見るとさざ波のような模様がでています |
近づいて見るとさざ波のような屋久杉特有の素晴らしい模様が出ています。一台作ってみて、音が良ければ
大きな板を入手しているのでこれで何台かのバイオリンを作れます。長年職人をやっていると多くの木工関係者と
知り合い、とても珍しい材木が入手できるようになり幸せです。
朝7時頃のオニヤンマ |
11時ごろには飛び立っていきました |
飛んで行った後の大きな抜け殻 |
枚方工房の庭には小さな池があります。そこではさまざまな生物の生命の循環が行われています。
今朝、オニヤンマの羽化を発見しました。お昼には空へと羽ばたいていきました。
池の中にはシオカラトンボ、オニヤンマ、ハグロトンボ、カエル、メダカなどが生息しています。
2019年4月23日 バイオリン、ビオラ、チェロ 展示会
5月2日(木)3日(金)第11回関西弦楽器製作者協会展示会が大阪市中央公会堂で行われます。
今年はバイオリン、ビオラ、チェロを出展します。その他に、バイオリン弓、ビオラ弓、チェロ弓も出展します。
バイオリン、ビオラ、チェロ |
バイオリン |
ビオラ |
チェロ |
アンドレア・アマティやニコラ・アマティが活躍した時代は、クレモナ付近にオッピオと呼ばれる、その土地に
自生するカエデがありました。現在ではクレモナ郊外の自然保護区にしか生息していません。
27年前、イタリアから帰国した時、盆栽を始めました。そのカエデが今では下の写真のように高さ25cm、
横幅1mに成長しました。今年は花が咲いた後、多くの種もついています。
27年目のオッピオ盆栽 |
今年の春、オッピオの花が咲くまでの変化を写真に撮りました。
オッピオのつぼみ |
芽が開いたところ |
黄色い花が咲きます |
花の後、種ができます |
桜の花のようにカエデも毎年、花を咲かせます。朝早く起きて葉っぱの艶やちゃんと受粉したかなど
水をやりながら観察しています。樹の表皮も5年10年と経っていくと、しわが増えていき、時代感が
でてきます。
展示会出展のために製作したクラシックギター完成しました。サンドホールのロゼッタ(象嵌装飾)は
バラの花があります。ブリッジはシャム柿に牛骨を貼り付けました。表板はバイオリンと同じくイタリア産の
アベーテロッソです。裏板横板はローズウッド、バインディングは虎杢のカエデです。
4月20日(土)21日(日)クラシックギターフェスタin南港ATC 詳細はこちら
ロゼッタ |
ブリッジ |
アベーテロッソの表板 |
ローズウッド |
2019年3月31日 バイオリン完成
私の工房には5〜6台の半完成品のバイオリンやビオラがいつも置いてあります。これらは裏板と横板のみが
製作されたものでその状態のまま、自然乾燥させています。昨年その中の一本を製作注文を受け、仕上がったものが
上のバイオリンです。製作途中のものを注文するということは勇気がいると思いますが、5〜6年乾燥させたものを
仕上げた時には普通の新作よりはよく鳴る楽器が仕上がります。
なぜか弦楽器は時間が経つだけで音質が微妙に変わります。特に新作は顕著です。
石付きアベーテロッソ |
アーモンドの花 |
左上の写真は実生から育てたアベーテロッソです。自然の石の隙間に少しの土があり、その狭い場所ですでに
十数年間、少しづつ成長しています。水と肥料はあげるので小さいながらもとても元気です。
毎日しゃがんで、目線をアベーテロッソの高さにもっていくと石付き盆栽の醍醐味が味わえます。
この写真を撮ったのは1ヶ月前の2月でさざんかの花びらが大量に散っているところです。
写真右上はアーモンドの花です。わが家の庭の梅や桃は散りましたが、アーモンドの花は桜より先に咲き、
桜よりずっと遅くまで花がついています。ひと月くらい咲いているので観賞用には最適です。
今年の4月20日(土)21日(日)大阪南港ATCでクラシックギターフェスタ2019が開催されます。
それに出展するためクラシックギターを製作中です。 バイオリン・ビオラ・チェロと違ってギターは撥弦楽器なので
楽器の構造も大きく変わります。たまたま私はマンドリンやコントラバスも作るのでなんとか完成させますが、
最近ではバイオリンを作る人はほとんどギターは作りません。私の親方であるマエストロ、 レナート・スコラルヴェッツアは
100本位のギターを作っています。ストラディバリはバイオリン属の他にハープ、ギター、マンドリン、楽器ケース、
弓、リュートなどなど、想像を絶する種類の楽器を作っています。その中でもバイオリン属は構造上、丈夫なので
それらは壊れずに何百本かは現存しています。クラシックギターファンの方、ぜひクラシックギターフェスタにお越し下さい。
日本の手工ギター製作者が数多く出展しています。
表板に横板を接着しているところ |
この後、裏板を作り始めます |
花房俊昭氏所有のバイオリンは2007年に私が高槻で作ったものです。
一週間前に花房氏が毛替えに来られました。楽器を見ると下の写真と比べると赤い色が退色し、ちょうど
表板が写真の裏板のカエデのように黄色とオレンジ色の中間色になっていました。下の写真は製作直後の
証明書に貼り付けた写真です。12年経つとちょうど色合いになっていました。
2007年岩井作バイオリン | 2007年岩井作バイオリン | 2007年岩井作バイオリン |
花房氏はアンサンブル・モーツアルティアーナのコンサートマスターです。
以前はドイツのミッテンバルトで作られたバイオリンを使用されていましたが、12年前からは私のバイオリンを
使用されています。今回2月24日(日)大阪 いずみホールでの演目はストラビンスキーの「火の鳥」と
リムスキー・コルサコフの交響曲「シェヘラザード」です。「シェヘラザード」ではところどころバイオリンソロが
はいっているので、私はその音を聞くのが楽しみです。
今回のyou-tubeはチェリスト奥村悠樹さんです。このチェロはモンタニャーニャモデルで製作したのは2009年です。
奥村さんが購入されたのは2016年です。このチェロを製作した当時は板を大変厚く作りました。それゆえ音が
よく鳴るようになるには時間がかかったように思います。今回改めて録音しながら音を聞いたのですが、板厚が太い
楽器が鳴りだした時にはとても良い音のように感じました。
チェリスト奥村悠樹さん |
奥村悠樹さんのプロフィール
大阪府立夕陽丘高等学校音楽家を経て、相愛大学音楽学部卒業。同大学音楽専攻科修了。
これまでに、近藤浩志、安藤信行、斎藤建寛、ヴラダン・コチの各氏に師事。
第6回あおによし音楽コンクール奈良 弦楽器部門一般最上級の部3位。
録画日 2019年1月13日バイオリン工房クレモナにて you-tubeコーナー
モラッシーの山の表板 |
ボスニアの美しい一枚板のカエデ |
ストラディバリモデル 1724年Abergavanny ネック仕込が出来ました。
現在 枚方と京橋で白木バイオリンがそれぞれ完成しつつあります。枚方で作っているものは典型的なボスニア産の
虎杢の美しい一枚板のカエデです。
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自作のSTUBAIの丸ノミスタンド |
爪楊枝レバー付きストッパー |
STUBAIの丸ノミスタンド作りましたが、カンナ掛けや丸ノミで荒取りすると、丸ノミが転げ落ちることが判明しました。
抜け落ちないように1本1本にストッパーを付け足しました。爪楊枝のレバーがついています。
2019年1月11日 和洋折衷 古民家の修理
ストラディバリモデル 1724年Abergavannyのネックと指板の仮接着までできました。
正月の前から予定していた古民家の修理を行いました。上り框の下の部分の修理です。この杉板の隙間から冬は
冷たい風が家の中に入ってきていました。手を当てると縁の下を通って風が板と板の隙間から入ってくるのがよく
わかりました。この板の上に一枚の大きなベニヤ板をはめ込み、表面はモザイク模様にしました。
この模様は隣にある私の仕事部屋と共通性のあるものにしました。
欅とチークのモザイク材料 |
長い板を四角に切っているところ |
モザイクの材料は2種類で欅とチークを使いました。模様がはっきり出るように片方は縦目に使い、もう片方は
横方向に交互に貼り付けていきました。夏は取り外し可能なように板全体を軽くするため6mm位の厚みの板を
貼り付けました。
ベニヤ板にモザイク接着 |
モザイクの平面出し |
上の写真左は四角に切った板を大きなベニヤ板に貼り付けているところです。
右の写真は接着剤乾燥後全体の平面出しをカンナでおこなっているところです。結構大きな板で長さは1.8mが
2枚あります。私はコントラバスも作っているのでそんなに気にはなりません。
手前は工房で奥の方に見える上り框の部分が今回修理した箇所です。大きな板ははめ込み式で、バイオリンの
ネックをボディに仕込むのと同じように釘は使わず、カンナで削りながらぴったり合わせました。
ニスはまだ塗っていませんが、そのうちニスを塗ると手前のモザイクと色が合い統一感が出ると思います。
これで冬は隙間風は減り、寒さはずいぶんとなくなります。この古民家は70年前に一度大修理をしています。
この框の部分は70年ぶりの修理と思います。
力木接着 |
木製 力木クランプ |
ストラディバリモデル 1724年Abergavannyの力木接着中です。この力木接着の左右の木のクランプは1981年に
クレモナに行った時にモラッシーの店で購入した木製クランプです。これは大変気に入っていて今でもずっと使っています。
モラッシーの店の焼き印が入っています。L.A.C. Liuteria Artistica Cremonese
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ローズウッドの裏板と |
4本目のクラシックギターも少しづつ製作しています。
私が1981年 クレモナに行った時は必要にせまられそのカーブに沿った丸ノミを1本また1本と買って増やしていきました。
今から35年前のクレモナはみんなこのイギリス製のノミを使っていました。
1980年代のイギリス製のノミ |
理由はモラッシーの店ではこのメーカーのノミしか扱っていなかったからです。今ではいろいろなメーカーの物を揃えていると
思いますが、80年代のイタリアではこんな状況でした。
こんなこともありました。当時、ある日私は町の金物道具店でノミを買いました。家に持って帰って来て刃物を研ごうとしたら、
表面にはストゥバイ、裏面にはボルフとオーストリア製とドイツ製の刻印が1本のノミに打ってあり、それはきっとイタリアで
作られた偽造品だったと思います。店に苦情を言いに行ったら、どのメーカーが欲しいのかと聞かれたので、私は本物なら
どっちでもよいと言ったら、「これは良いものだ」と言ってWOLFとだけ刻印のある丸ノミを1本[ミステリーだ」と言って
取り替えてくれました。その丸ノミは使用していても悪くはありませんでしたが、私はその後その店では刃物を買わなくなりました。
そしてその後はスイス製をスイスから取り寄せて使っていました。
2018年10月から大阪京橋に2号店を出した際、そのスイス製のそのノミはそちらに持っていったので、枚方でのノミがなくなり、
1ヶ月間は京橋と枚方をリュックサックにノミを入れ、持ち運んで往復して使っていました。
長い間私は、いつかオーストリア製STUBAIを持ちたいと思っていたので、少し前に丸ノミ13本セットを大人買いしました。
STUBAI 丸ノミセットの梱包箱 |
その日のうちに作った丸ノミスタンド(枚方) |
握った感じもとても良いです。自分の気に入ったものを持てて満足しました。長年の夢が叶いました。
年内に少しづつ刃先を研ぎ、2019年1月1日からこの憧れの丸ノミで仕事始めです。
道具が届き、歓喜する私 |
今年もあっという間に12月になりました。今年の10月から枚方と京橋で一日半分づつ仕事をしています。
枚方では先日新たに5年ほど寝かした半分作ったバイオリンを作りはじめました。最近の私の製作方法は、楽器は時間を
かけて少しでも木を乾燥させながら作った方が良いと思ったので、上記の写真左側のようにバイオリンを半分作って
そのまま数年乾燥させます。20年乾燥させた材料でも5年ほど放置すると、木の表面はきつね色になり、黄色いカビと
ヤニの中間のようなものが表面についてきます。そうなったら新たに製作を始めます。先日その途中工程から製作注文の
依頼がありました。これなら半年後には楽器が完成します。上の右の写真が半分作って、5年寝かした状態のものです。
上の左の写真は裏板の膨らみを完成させ裏板を横板に接着しているところです。上の右の写真は内型を抜き、表板の
ライニングを新たに着けたところです。このバイオリンの内型はストラディバリの後期のもので1724年に作られた型を
コピーして使っています。 Abergavannyと呼ばれ、クレモナ市が所有している「クレモネーゼ」とそっくりの型で晩年の
美しいモデルのひとつです。
11月10日枚方のバイオリン工房クレモナの見学ツアー無事終了しました。京都の北区に日本イタリア会館があります。
ここは私がイタリアへ渡る前の年、イタリア語を習いに行った場所でもあります。1980年にテントを持ってヨーロッパを廻り、
イタリアのクレモナのバイオリン製作学校を尋ねました。そこで翌年の入学試験の手続きを終えました。当時はインターネット
もなく何のコネもない私は現地へ行くしか方法はありませんでした。そしてその後日本に戻り、1年間アルバイトをしてお金を
貯めていました。出発が近づいてくるとイタリア語が話せないことが気にかかり、イタリア語を教えている所を捜すと京都では
ここ一ヶ所のみでした。集中講座があったので受講しました。イタリアに行ってからはイタリア語はすぐには話せません
でしたが、その講座を受けたことは大変良かったと思いました。私と日本イタリア会館のつながりは大変長いものと
なっています。今回のバイオリン工房見学ツァーは日本イタリア会館の主催で行われました。
イタリアレストランでの昼食風景 |
私のバイオリンの講義 |
古民家の庭でのティータイム |
カルテットの演奏 |
会館職員と演奏者 |
当日は京阪枚方市駅集合、駅前のイタリアンレストランにてランチをいただきました。定員30名でしたが、参加者が47名
に増え、日本イタリア会館の方達が3名、カルテットの演奏家が4人、私達夫婦が2名、合計56名となりました。
食後、京阪バス2台に分乗して当工房まで移動しました。そして私がバイオリン製作及び現在に至るまでの経緯などに
ついて話しました。その後カルテットで、ヴィヴァルディやカンツォーネの演奏を楽しみました。
11月の秋晴れの日、楽しい時を過ごしました。主催の日本イタリア会館、理事長天野恵氏、職員の片山氏、谷口氏、
カルテット演奏のサビーナクラブの谷川さん、中川さん、瀬戸さん、中村さん 皆様ありがとうございました。
私が柴田奈穂さんを知ったのは今から10年以上前のことでした。その頃私の工房は高槻市にあり、彼女は毛替えに
客としてやってきていました。その時の私の記憶では、ある日、タンゴを聞き、タンゴバイオリンに魅せられその後
アルゼンチンに武者修行に行き、帰国後はライブ活動を始め、その後東京に拠点を移し、現在に至っています。
詳しいことは彼女のHPをご覧ください。Nahoviolin
実はyou-tubeで彼女が演奏しているバイオリンは彼女のお父さん所有のバイオリンです。
お父さんは仕事の傍ら趣味でバイオリンを演奏されています。2009年に私のバイオリンを購入されました。
そのバイオリンを使って、2018年11月11日私の工房で彼女の演奏を録画しyou-tubeにupしました。you-tubeコーナー
この大きな一枚の板は京都の名工 故黒田辰秋氏の工房に眠っていた材木です。実は私が数枚入手してそのうちの
2枚目のものです。一枚目は虎杢カエデで、5〜6年かかってほとんどがバイオリンに生まれまわりました。
材木の組織検査をしてヨーロッパ産のカエデであることも確認されています。
2枚目のこの材料はバイオリンかビオラ十数台分が取れると思っています。
この一枚板は木の芯が見当たりません。ということは2m位の直径の大きな玉杢のカエデの大木ということになります。
今の時代にこんな素晴らしい材料を持てたことはとても幸せなことだと思います。
来年2019年5月開催の大阪の関西弦楽器製作者協会の展示会と、来年秋の日本弦楽器製作者協会の
弦楽器フェアに出展しようと思っています。確実に50年以上は乾燥させた材料です。
2018年枚方の私の工房にて |
カエデの玉杢 バイオリンの裏板材料 |
2018年10月31日 暴れん坊将軍バイオリン 第4号完成 京橋トピックスに記載
2018年10月23日 東京・弦楽器フェア出展楽器完成
今年の弦楽器フェア[11月2日(金)〜4日(日)東京・科学技術館]はバイオリン、ビオラ、チェロ、ギターを出展します。
地下のサイエンスホールでの試奏会には4本とも出品します。試奏コンサートのスケジュールは以下です。
ビオラ 11月2日(金)13:00〜13:45
チェロ 11月3日(土)12:00〜12:45
バイオリン 11月4日(日)15:45〜16:30, ギター14:00〜14:30 日本弦楽器製作者協会主催弦楽器フェア詳細はこちら
2018年出展のバイオリン・ビオラ・チェロ |
2018年出展ギター |
枚方の工房は仕事場が二つに分かれています。ほこりの多く出る仕事と、仕上げをする部屋があります。
パルマ音楽院バイオリン製作科の学生だった時に同級生のドイツ人の友達が作業机を作ってくれました。
この机はもう30年以上使っていて一番使い慣れているので京橋店へ持っていきました。
枚方には作業机が足りなくなったので、その使い慣れている机に少し改良して似たものを作りました。
今後引き出しも付け足します。 |
この万力は何年使ってもガタがこない 方式です。 |
この新しい作業机は横幅が1m50cm、奥行きは70cmあります。
ちょうどチークの材料を持っていたので、ぜいたくな天板を作りました。天板の下の部分は20年前高槻でバイオリン
製作学校をやっている時に作った大きなステレオラックを転用しました。それは大変太い材料で、釘を使わず
ホゾとホゾ穴で頑丈に作ったものです。そこに新たに4本の足を取り付け大きな作業台を作りました。
万力の部分は京橋に持っていった机と同じくスライド式の優れもの(写真右)で、写真左の万力はパルマの
スコラ-ルヴェッツァが多用していた方式で、クレモナではほとんど使われないものです。
この作業机があればバイオリンからコントラバスまで色々なものが作れます。
この作業台は前に立つとこれからもまだまだ多くの楽器や弓が作りたい気分にさせてくれます。以上
2018年9月18日 バイオリン工房クレモナ京橋2号店10月1日オープンします
国道1号線沿い7階建てビルの2階です |
京阪・JR京橋駅から徒歩2分です |
私は1981年イタリア・クレモナに渡って37年経ちました。最近ようやく色々な弦楽器が作れるようになりました。
京橋の2号店ではそれらの楽器を一人でも多くの人に見てもらいたいとの思いがあり、大阪市内の便利なところにオープン
することになりました。
午前中は従来通り、枚方で製作し、午後は京橋で私の製作した楽器や弓を販売します。
バイオリン・ビオラ・チェロ・コントラバス・クラシックギター・マンドリンなどです。毛替えや修理・調整も行います。
店内の様子 |
最近製作したf孔の椅子 |
大きな欅の丸太使ったテーブルやf孔の形をしたロッキングチェアーもあります。椅子やテーブルの家具類は販売目的
で作ったものではありません。私の趣味です。販売しているのは楽器のみです。どうぞお気軽にお越し下さい。
京橋店への道順は10月1日までにupします。
住所 大阪市都島区東野田町4丁目9番17号 松和京橋第5ビル205
大変珍しい工芸的な要素のある虎杢のカエデです。このカエデは今から10年ほど木工工芸界の巨匠 故黒田辰秋氏の
工房から材木商を介して入手したものです。黒田辰秋氏の次男の黒田丈二さんが高齢になり清水の工房を閉めるときに
私の知り合いの材木商に材木の引き取りをお願いしました。黒田工房は京都にあり、材木商は大阪、当時私の工房は
その中間の高槻にあったので運搬途中に立ち寄ってくれました。荷台に材木が山積みされたトラックが2回立ち寄って
くれました。その中で私の気に入ったものを購入しました。購入当時は家具に使おうと思っていましたが、科学的な
組織検査をしてもらいヨーロッパのカエデであることがわかったのでその後急遽バイオリンに使うことにしました。
このカエデ材は厚みが5cmほどあり、チェロの1枚板が充分取れる大きさでしたが、私は数台分のバイオリンに使う
ことにしました。製材の時に材木の表面に黒田辰秋の名前と住所が記してあったのでよく覚えています。
今となっては黒田丈二さんも材木商の主人も亡くなりこの材料と私だけが残りました。
私によって作られたこのバイオリンもバイオリニストに気に入られ、私の工房から出て行きました。
今は新しい所有者に愛されバイオリンとして姿を変え、生き続けていきます。
カエデの製材 2012年冬 |
黒田辰秋工房に眠っていたカエデ |
2018年8月27日 フィレンツェ古材のバイオリン
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今作っているバイオリン |
1993年亀岡で行った材料製材 |
今作っているバイオリンは少し小ぶりのデル・ジェズモデルです。この表板は私がイタリアから帰国してすぐに大阪の
玉野さんからいただいた材料です。玉野さんが今から50年ほど前にフィレンツェのビジャッキの工房で修業されていた時
フィレンツェの古い家が解体されていたのでその柱を日本にコンテナで送ったものです。
柱の大きさは30cm×20cmで、長さは2mほどありました。それらを数本頂きました。
アペニーノ産のアベーテ |
製作途中のバイオリン |
北イタリアではドロミーテ産のアベーテを使いますが、フィレンツェではアペニーノ山脈があるのでその山で育った
アベーテだと思います。とても古い材料のせいか、豆カンナで削っていても独特の香りが工房に充満します。
このアベーテもアペニーノ山脈から枚方の津田まで来るとは夢にも思っていなかったように思います。
もうすぐ私の工房でバイオリンの形となって、家の建材からバイオリンになり新たな生命を受けることになります。
この場を借りて玉野さんの奥様とその材料が私のもとに来るように取り計らってくださった藤原さんに御礼申し上げます。
すべて無料でいただきました。
f孔の形をした椅子 |
チェロと椅子 |
f孔の椅子ほぼ完成しました。座る所の座板ははめ込みになっているので、いつか時間ができた時引き抜いて、
そこに貝の象嵌を施そうと思っています。気が向いた時のみ椅子作りをするので数年先になるとは思います。
気の長い話です。
20年前に椅子作りに興味を持ち、3〜4年に1脚 椅子を作っています。今回の椅子は5脚目です。
この椅子は大きく複雑な形をしているので製作時間がかかります。作り始めてから5〜6年は経っていると思います。
椅子作りは私の趣味なので日曜大工のように休みの時に少しづつ作っています。
今度、大阪市内に私の店、バイオリン工房クレモナ2号店を開店します。その新しい店にこの椅子を飾ろうと思います。
このデザインは私のオリジナルで、音楽が聞こえてきそうな椅子です。椅子が組み立てが終わるとあとは磨いて、茶色の
ニスを塗る予定です。
大阪市内の新しい店では私の製作したバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ビオラダモーレ、マンドリン、クラシックギター
その他、私の製作したバイオザウルス(ゴジラの形をしたバイオリンとケース)、インコの形をしたバイオリン、亀の形をした
ポシェットバイオリン、などを飾ります。私が37年間作り続けたさまざまな種類の楽器を展示します。
私の体はひとつなので、一週間のうち半分は枚方、半分は大阪市内となります。
私の制作活動のテーマは「ここにしかないもの」です。
装飾の渦巻き |
ロッキングチェアの後ろの巻 |
側面はf孔の形をしています |
頭の位置の駒は可動式 |
カワカマスの刻印 |
裏板と表板 |
26年前に私がクレモナから帰ってきたときはマエストロ・モラッシーの材料を日本で売っていました。その時に作った
トレードマークのカワカマスの焼き印がこの写真です。二人ともカワカマスの釣りが好きだったのでこのマークに決めました。
20年ほど前は東京の弦楽器フェアでも私のブースでこの焼き印のある材料を多く売りました。
私にとってはこの焼き印を見るたびに親方であったジョバッタ・モラッシーを懐かしく思い出します。
材料を選んでいるところ |
アベーテロッソの大木 |
日本に帰国してからも毎年8月の夏休みになると、北イタリアのウーディネのモラッシーの実家に材料を買い付けに行きました。
親方の実家では林業もやっていたので、それらの材木の中で楽器に使えるものをクレモナに運び、それらを世界中に売って
いました。私は日本でそれらを売っていました。
私の工房風景 |
今作り始めたバイオリン |
今回作り始めたバイオリンはたまたまきれいな刻印が写っていたのでこの記事を書きました。
焼き印の下をよく見ると1993年クレモナと書いてあります。25年私の手元で自然乾燥させました。世の中には色々な
職種がありますが、こんなゆっくりと時間をかけて下準備をして仕事にかかる職種はあまりないように思います。
25年も経てば一般的に世間では仕事内容が変わっている人、周りの状況が変わっている人が多くあると思います。
バイオリン作りの仕事内容はほとんど一生変わることがありません。ニスの配合が変わったり、板厚が零点何ミリ薄く
なったり厚くなったり、作り手だけがそれらの違いを感じとり今度の物は大きく変わったと本人のなかで大騒ぎしています。
ニス塗り中の私 |
手作りのバイオリンのニス |
バイオリンの製作工程には木工技術と楽器のニスと出来上がった楽器の音の3つが重要だと思います。
すべての職人は一生の間、少しづつの変貌を遂げより良いものを作ろうとしています。
私もこの10年間ニスには大変悩まされました。美しく仕上がるためにニスをたっぷり塗り、塗膜が厚いものは夏場に
なるとニスの硬さが軟らかくなりケースや布の跡が裏板や横板に付きました。試行錯誤を行い、最近やっとそれらの
問題を解決しつつあります。
ニスは大きく分けるとアルコールニスと油ニスに分かれます。アルコールニスはほぼ透明で油ニスは透明か薄茶色です。
それらの中に染料や顔料の赤色や黄色や茶色の色を混ぜます。塗膜が薄いと見た感じ色に深みがなく、塗膜が厚いと
深みはあるが、ニスを塗り終わり時間が経った時にトラブルが起きやすいです。要するに適度な厚みにして、そのニスの
中に適量の色を入れることがニス塗りの重要なところとなります。
しかしニスで一番重要なことは塗り終わった時に、その楽器がきれいに見える事です。手作りでニスを作っていると
ほんのちょっとしたことが仕上がりに大きく影響します。また同じニスを使っても塗り手の技術により大きく仕上がりが
変わってしまいます。初めに書いた3大要素はバイオリン作りにとって、終わることのない課題でもあり楽しみでもあると
思います。
|
現在はこのようなニスですが、私が80才の時はどんなニスを塗っているか今は想像もつきません。
その時々の思いが反映されることは確かです。この10年間は極端に濃い色や、オールド仕上げなどが好きでした。
今思うと、今作っているものと違うものを作りたいという気持ちがそうさせるのだと思います。
最近は傷などつけずに新作とすぐにわかるものが好きになりました。しかしバイオリンのニスはスプレーで塗った
ような均一色でなく、濃淡がついてちょっと古めかしい感じのするものが良いように思います。
親方のモラッシーやスコラールヴェッツァは黄色やオレンジ色の明るい感じの単色の色が好みでしたが、日本人である
私はもうちょっとわびさびのきいた感じのする色合いが好きなようです。楽器を作り続けていると10年単位で
ちょっとづつ変わっていることに気づきました。
41cmのビオラほぼ仕上がりました。指板を接着しました。あとは駒と魂柱と糸巻で完成です。
64才になって五十肩になりました。左肩が痛くて右手ばかりを多用すると右手首がおかしくなりさんざんです。
新しくチェロを作っていましたが、これは力仕事なので一時断念します。私はいつも3〜4種類の楽器を同時進行で製作して
いるのでそれらの中でも力のいらないものを選んで仕事をしています。
ビオラの指板接着 |
最高級の馬毛入荷しました |
Vn |
Va |
Vc |
Bass |
|
分数楽器 |
4,500円 |
4,500円 |
5,000円 |
|
普通馬毛 |
5,000円 |
5,000円 |
6,500円 |
7,000円 |
高級馬毛 |
7,000円 |
7,000円 |
8,500円 |
9,000円 |
最高級馬毛 |
8,000円 |
8,000円 |
9,500円 |
10,000円 |
今までは馬毛は3種類でしたが4種類になりました。
よく見ると白蝶貝の間に赤い十字模様が入っています |
ロゼッタと同じ赤い十字模様が駒にも入っています |
虎杢のカエデです。これは私の製作したギターすべて同じです。
ここはバイオリン工房ですが、私の作ったギターは製作販売しています。どうぞ試奏にお越し下さい。
このビオラは高槻で作ったものです。今回は横井和美さんに演奏を依頼し、you-tubeに公開しました。
横井さんはこのビオラを使用してちょうど10年目になります。2018年1月京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで
モーツァルトのバイオリンとビオラのための協奏交響曲K364を演奏されました。
私の工房での録画は2018年5月31日に行いました。
工房での録画風景 |
横井和美さんは神戸室内管弦楽団に所属されていて7月28日(土)舞子ビラ神戸にて、再びモーツァルトのバイオリンとビオラの
ための協奏交響曲K364を演奏されます。詳細は神戸室内管弦楽団7月演奏会HP
you-tubeコーナーはこちら
2018年5月14日 親方Gio Batta Morassi ジョ・バッタ・モラッシーへ(その2)
親方の工房にて 20代後半の私 |
さようなら バイオリン製作界の長老 |
イタリアの修業時代、クレモナのローマ公園の近くにあるマエストロ ジョ・バッタ・モラッシーの工房で楽器製作を習って
いました。親方と共に撮った写真で一番古いものです。私が20代後半で親方は40代後半でした。私は今より20kg痩せて
いたし、親方は髪が真っ黒で針金のような剛毛天然パーマでした。初めて親方に逢ってびっくりしたのは、体は細身だけれど
手の指がとても太く頑丈な手をしていることでした。親方の仕事はいつもくわえ煙草で、工房は常に霞んでいました。
1980年代は親方の人生の中でも一番忙しい時期で、バイオリン、ビオラ、チェロがいつも工房に散乱していました。
あの頃はEUが統合していなくてユーロ札ではなく、親方の財布の中にはドル、円、フラン、マルク、などのお札が常に入っていて
楽器が売れるとすぐにお釣りが払えるように準備万端でしたね。
財布は常に3〜4cmにふくらみ、それをズボンの後ろポケットに入れるので異様な形でズボンがパンパンに膨れていましたね。
休憩時間にBAR(バール)に行ってコーヒーを飲む時も小銭を出すのが面倒でいつもぼやいていましたね。
イタリアでは小切手は信用できず、現金でしか楽器を売らなかった親方が印象的でした。楽器売買の時に親方は外国語を
流暢に話し、どこの国の人が来ても見事に対応していましたね。インターナショナルとはあのようなことを言うのですね。
そして仕事場の奥では1つの工房部屋なのに別世界のように兄弟子のニコラ・ラッザリがいつももくもくと仕事をしていました。
兄弟子のニコラとは写真の整理をするといつも一緒に写っていて、同世代を生きたことが一目瞭然です。
1984年 1号チェロ完成 |
親方と兄弟子ニコラ・ラッザリと私 |
この写真は私の1号チェロが完成した時です。
弦を張り終わった時とてもうれしかったことを覚えています。あれから35年の月日が流れ、多くのチェロを作りました。
最近になって思うことは、ほとんど楽器製作のことを知らない時に親方の所で学べたことが私にとっては大変幸せだったと
思えます。親方の仕事ぶりを真横で数多く見られたことは大変有意義なことでした。
私は初心者だったので、自分の意識していないところで楽器作りの基本的なことを多く学んだように思います。
バイオリン材料 伐採中の親方 |
娘モニカ、息子シミオーネ、皆も揃って |
8月のバカンスには親方の実家ウーディネの山に行って、バイオリン材料のアベーテロッソの伐採を手伝いました。
山の仕事は思っていたより重労働で危険でもあり、慣れない私はへとへとになってしまいました。
親方は山で仕事をしてる時はクレモナで楽器を作っている時以上に生き生きとしていて、まるで根っからの山男でしたね。
大阪・高槻にて 製作学校の進級試験 |
イタリアの親方の工房にて |
私が大阪高槻でバイオリン製作学校を始めた時はわざわざ日本にまで来てバイオリン製作指導してくれました教えに
来てくれました。今ではあの時のことがきっかけで日本では多くのバイオリン職人が育っています。
親方がイタリアバイオリン製作者協会を作ったように、私は大阪に関西弦楽器製作者を作りました。
いつか大阪を日本のクレモナにします。
親方はあの世に行ったので、もう日本に来ることはないですが、ニコラ・ラッザリ、シミオーネ・モラッシー、ジャンニ・モラッシーは
年に1回東京の弦楽器フェアで逢っています。
親方の教えを学んだものは皆世界中にいて、それぞれの場所で楽器を作り活躍しています。
親方80才の誕生パーティ |
山でバイオリン材料を伐採する親方 |
2015年の親方の80才の誕生パーティには多くの弟子たち70人ほどがクレモナ郊外のレストランに招待されました。
私は70食の豪華なフルコースを支払するとなるとすごい額になるなと、変なところで心配しました。親方はやはり太っ腹でした。
上の写真は左からメインテーブルで甥っこのジャンニ、私、親方ジョ・バッタ・モラッシー、ステファーノ・コニア、ニコラ・ラッザリ
です。息子のシミオーネは70人の接待で大忙しでしたね。
1980年代のクレモナが一番景気が良かった時代の話でとても盛り上がりましたね。親方と甥っ子のジャンニ、そして私の
3人はAdda川でのカワカマス釣りの話が始まると、とめどなく釣り自慢が続きましたね。
パーティの途中で私は O sole mio(オーソレミオ) を歌い、日本人がナポリの唄を歌ったのでとても盛り上がりましたね。
パーティの終焉では親方が「TAKAO、もう一曲歌え」と言ったのでイタリアの名曲Non ti scordar di me(勿忘草)を
参加者70人の前で歌い終わった時は大喝采でパーティは大成功でした。そのあと「TAKAO、お前はブラーボだ」と
親方は珍しく私を褒めてくれましたね。
あの時以来「勿忘草」の歌は私にとって忘れられない歌になりました。今でもたまにこの歌を歌いますが、あの親方の
誕生パーティの状況が昨日のことのように想い出されます。
多くの弟子を育てた親方、皆あなたのことを忘れることはないでしょう。
偉大な親方 さようなら
2018年4月27日 バイオリンと庭のトンボ そして展示会報告
今年で関西弦楽器製作者協会展示会10回目を開催しました。10年前、7人で始めた小さな会が10年経つとこんな大所帯に
なりました。毎年春に大阪市中央公会堂にて開催しています。
私たちの夢は「楽器を買うならこの展示会で楽器を選び、それらを買おう」です。来年もまたぜひ、お越しください。
自立・独立した楽器職人が多く集まり、皆様をお待ちしています。普通の楽器店では見られないここにしかない展示会です。
今年行われた関西弦楽器製作者協会の協会員目録御希望の方は郵送いたします。(無料です)
ご希望の方はメールにてご連絡下さい。( e-mail: luccioAd1.dion.ne.jp Aを@に変えて送信して下さい。)
2018年度の参加者の集合写真 |
楽器展示風景 |
バイオリンのニスも仕上がり、駒と魂柱を付け、弦を張り一番新しいバイオリンが完成しました。
横から撮った写真をよく見ると、裏板と横板が同じ虎杢が出ているのがよくわかります。
側面からの渦巻きは横板と同じ模様虎目が出ています。工芸的にも美しい1本です。
下の写真は1本のバイオリンをいろいろな角度から写真撮影したものです。
今朝、庭の水まきをしていると、小さな池のそばに置いてある豆ジタを育てている木の根っこにオニヤンマらしきトンボを
発見しました。羽に水がかかったのですが、羽化したばかりなので、じっとこらえていました。その後写真を撮って1時間くらいすると
どこかに旅立って行きました。またいつか卵を産みに来てくれればいいなと思いました。
3週間前、網で池の底にたまった泥の掃除をしていた時、網の中に4cm位のヤゴが入っていました。
ヤゴだけは池に戻しましたが、それらのヤゴがきっと羽化したのだと思います。4年間かけて池の手入れをしているとだんだん
自然が戻ってきました。多くのアメンボもすいすいと泳いでいます。
2018年4月14日 親方Gio Batta Morassi ジョ・バッタ・モラッシーへ(その1)
今日は親方のことを思い出しています。26年ぶりに家の倉庫の中から釣り道具箱を探し出しました。
中を見ると、あの日のluccio(川カマス)の魚拓が出てきました。管理が悪かったので、カビだらけで布も腐って穴が
開いていました。風通しが必要だったですね。日本にはluccioがいないので釣り道具と一緒についついほったらかしに
してしまいました。
アッダ川のluccio 1988年 |
川カマスと私 |
「親方、よく見てください。魚拓の下には釣り人 IWAI TAKAO Gio Batta Mrassi 1988 と書いてあります。
あの年のクリスマスの日、親方の家に私を昼食に招待してくれましたね。食後に、今日はクリスマスなので川には釣り人は
誰もいないだろうと話し、2人でAdda川に行きましたね。あの日はいつもより少し下流でしたね。あの時私が釣ったluccioが
この魚拓です。 あの頃の冬場はいつも日曜になると朝早くから日が暮れるまで取り付かれるようにluccio釣りに行きま
したね。一日中、静寂の中で河辺に佇んでいるとまるで私たちが絵画の中の一場面のようで、糸が川底に引っ張られる
まではじっと待つだけ。魚がかかると場面は一転し、竿が折れんばかりに引っ張られluccioとのやり取りの中で、
今まで寒さで凍えきった身体が急に熱くなり、心臓はドクドクと音をたて、頬や耳は真っ赤になりましたね。
またいつか一緒にluccio釣りに行きたいと思っていたのに、親方はあの世に行ってしまったので果たせぬ夢となりました。
とても寂しいです。
luccioを釣って上機嫌の親方 アッダ川にて |
私は親方の工房に弟子入りしたおかげで今も楽器作りを続けています。
親方にそうとうこき使われたおかげで、今では腕の中にモータが入っているかのように仕事が速くできるようになりました。
親方の後ろ姿を見ていて、職人としてしぶとく生き延びて自分の夢を叶えることを学びました。
私がそちらへ行ったときには共にLuccio釣りに行きたいです」
ご冥福をお祈りいたします。
2018年4月3日 2本のバイオリン
2本のバイオリンのニスを塗っています。1本はフルサイズ、もう1本は3/4の分数バイオリンです。
楽器を作り続けていると、2〜3年に1回表板や裏板に節や乾燥割れがでて、フルサイズバイオリンの木取りできないものが
でてきます。そんな時は、分数サイズのバイオリンを作ります。
今作っている3/4サイズのバイオリンは、横板と裏板が完成してから5年間放置されました。運が悪く、フルサイズバイオリン
にとっては運が良く、分数バイオリンの材料がとれませんでした。
今年の初めに大きな節のある表板が出てきたので、それを切り取り、分数バイオリンに使いました。
ニス塗りは現在制作中のバイオリンと同時進行しています。2本ともグアルネリ・デル・ジェズモデルです。
複雑な模様の裏板(カエデ1枚板) |
ニス塗り中 |
上の写真のバイオリンはフルサイズのもので、板目の木取りなので、複雑な模様がでています。
左がフルサイズ 右が3/4 |
左がフルサイズ 右が3/4 |
2本のバイオリンともまだニスは完成していないので指板はついていません。表板を磨くとき仕事がしやすいように指板は
はずして、ニスが完成してから指板を張り付けます。
日本のイタヤカエデ
日本の楓の中で一番大きくなります
庭で8種類ほどのカエデを育てています。今年は一番最初に日本のイタヤカエデが花を咲かせました。春のカエデはよく
見ないと見逃すほどの小さい花が密集して咲いています。私は桜を見るよりカエデの花を見るのが年中行事となっています。
2018年3月24日 弓フロッグ製作
弓のフロッグの至る所が割れていいたり、減っていたりしてスティックとフロッグの遊びが出ていたので、新作フロッグの製作依頼
がきました。古い弓で、ビヨームタイプの弓が八角形でなく、フロッグとスティクの当たり面が半円形になっているものでした。
黒檀の塊からフロッグを作りました。
黒檀の塊から作る |
オリジナルの寸法を取りながら製作 |
寸法はすべて現物を測りながら作りました。弓が完成した時、弓を持った時の感覚がオリジナルと同じになるように、磨耗部分も
同じように作りました。スティックとフロッグの稼働部分だけは新作弓のようにぴったりと面合わせをしました。
右側が新作 |
右側が新作 |
フロッグ作りはバイオリンを作る時と違って、銀材料を使ってロウ付けの作業や貝を使っての作業があり失敗が許されない
作業ばかりです。バイオリンは製作過程で少し失敗しても、それに合わせて作って行けば失敗ではなくなる特性があります。
古い弓のフロッグ製作はその弓にフロッグを合わせなくてはならないので、楽器作りでは感じない緊張感がありました。
庭の桃の木 |
桃の花がびっしり詰まっています |
今年は去年より早く、また多くの桃の花が咲きました。生ごみや枯草を大きな木の箱に入れて2年間ねかせました。
冬場にそれを開けてみると堆肥に混ざって多くのミミズも出てきました。それらを庭の植物の肥料としてリサイクルしました。
家庭ごみからも立派な肥料が作れることがわかりました。
今年の4月22日大阪市中央公会堂での関西弦楽器製作者協会展示会に出展するチェロです。
このほかにバイオリンとビオラも出展します。
私は1981年に楽器製作の勉強のためにイタリアのクレモナに行きました。その時から37年の年月が経ちました。
楽器を製作した最初の頃は、どんなものを作ったらよいのかはっきりと解らず、親方の言う通りに楽器を作っていました。
毎日楽器を作り続けて、30年経った頃から自分の好みというものがはっきりしてきました。
今回完成したチェロは、作る前から「こんなものを作りたい、こんなニスの仕上がりにしたい。こんな音が出たらいいなあ」
と思いながら作りました。仕上がりはそれに近いものでした。長年作り続けて良かったと思っています。
ものづくりの醍醐味を味わうのに37年かかりました。
2018年2月9日 忘れられないカエデの裏板
上の写真のユーゴスラビア産のカエデは私が持っている材料の中でも、忘れることができない材料です。
忘れもしない1984年当時クレモナではモンドムジカ(年に一回クレモナで開催される展示会)もなく、材料調達はモラッシーの
店で買うか、ドイツのミッテンバルトで買うかがほとんどでした。そんななか年に1回ユーゴスラビアから材料屋が来て
クレモナ市内のA.R.C.と呼ばれる多目的施設で、バイオリン材料を売っていました。
上記の写真の材料は裏板、横板、ネックで30,000リラしました。当時の円換算では3,000円でした。
その頃私の1ヶ月の家賃は35,000リラ(3,500円)でした。あまりにも高額なので1日目は欲しいけど高すぎるとそのまま
帰りました。2日目もう一度材料屋に行き、2,000円の裏板を買うか、3,000円の裏板を買うかずっと迷っていました。
すると材料屋が3枚まとめて買うなら、少し値引きをすると言ったので、そこはイタリアでしたが、1万km離れた京都の清水
の舞台から飛び降りた気持ちで、3セットを購入しました。
この材料はそんな経緯があり、なかなか使う気持ちになれませんでした。
最近になって気持ちも少し変化し、今使わないと私がこの世にいなくなっても材料はこのまま残ってしまうのでは
ないかと思うようになりました。
私がこの材料を買ってから34年が経ちました。3枚ある裏板のなかの最初の一枚を使ってみることにしました。
この文章を書いていたら当時の材料を買った場所も覚えていて、その近くのvia Palavicinoには石井高さんの工房も
あったと思いだしました。赤いバイオリンの看板が目印でした。NHKのドラマ「川の流れはバイオリンの音」の撮影では
石井さんが随分と協力されたことも思い出しました。そして石井さんの中古の洗濯機をもらって私の家まで運ぶ途中、
Duomoの裏の坂道で洗濯器がリヤカーから転げ落ち、家に着いて電源を入れてみると洗濯機は動かず壊れてしまった
ことも思い出しました。イタリアの洗濯機は当時からさいころの形状で見事に転がりました。
4年前に石井さんは大阪の中央公会堂で講演会をされました。石井さん作のバイオリン3本の弾き比べとクレモナの
修業時代の話でした。会場には奥さんと息子さんも同席されていました。私は20数年ぶりに石井さんに会いました。
奥さんと息子さんとは30数年ぶりの再会でした。
石井さんはずいぶんと痩せられていましたがとても元気でした。私は引っ越しをして枚方の古民家に住んでいるので
大阪に来られた時はぜひ遊びに来てくださいと話しました。「じゃあ、ぜひ今度行くから」と笑顔で握手をして別れました。
しかし、その翌年、石井高さんはクレモナで亡くなられました。37年前クレモナに行った時、色々お世話になりました。
37年前に石井さんから頂いたf孔の穴を切り取る糸鋸は、今も私の道具立てにかかっています。
1枚のカエデの板から30数年前のことを思い出しました。
ギター完成 |
チェロ ニス塗り始めました |
ギター 弦を張り完成しました。ギターのページはこちらです。ギターページ
2018年1月26日 チェロ製作、ギター製作、バイオリン弓製作
チェロ製作は少しづつ進み、表板板厚を仕上げ、f孔を仕上げ、力木接着まできました。
チェロ 力木接着 |
f孔の仕上げ |
私の作っているギターは駒の接着も終わり、最終的なニスの仕上げをやっています。
弓製作はもうすぐ完成です。
今年1月にイタリアのクレモナでバイオリンの博物館に行くと、ストラディバリのギターやトーレスのギターの展示会を
やっていました。これらのギターは見るチャンスが少ないのでとても参考になりました。
クレモナの博物館 | ストラディバリのギター | トーレスのギター | ストラディバリのギター |
2018年1月1日 元旦のチェロ作りそしてギター
あけましておめでとうございます バイオリン工房クレモナに来られた方はきっと見覚えがあると思います。 あの吠えてばかりいる小太郎です。 実はこの小太郎は2代目です。 最近は高齢のため吠える回数が減っています。毎日よく寝ています。飼ってから11年目になります。もと野良犬で成犬だったものを譲り受けました。推定年齢は13歳くらいでしょうか。
今年の初仕事はチェロとギターを同時進行で作っています。この数年間は1月になるとチェロを作っています。
この寒い時期にチェロの荒取りをするのが理に適っているからです。今年のチェロはこのペースで進むと4月の
関西弦楽器製作者協会の展示会には余裕で間に合いそうです。
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第2号のギターを作っています。第1号と同じモデルで同じ力木配列、同じローズウッドとアベーテロッソの材料です。
両者の違いは1号ギターが材料が天然乾燥で、2号ギターは熱化学還元処理をした材料で作っています。
4月大阪南港のクラシックギターフェスタにこの1号と2号の2本を出展します。
上記の右写真はギターの駒です。ギターの表板は一見、平のように思いますが実はバイオリンと同じように、少し
膨らんでいます。ギターの駒の接着面はこの表面板のカーブに合わせて隙間なく削り合わせなくてはなりません。
バイオリンの駒の30個分くらいの表面積になると思います。大変な仕事です。ここの精度は音に大きく影響する
するように思います。
2017年11月27日 私の仕事場完成
完成した私の工房 |
3年かかって少しづつ私の仕事場の一室が完成しました。職人の仕事場は重要なものです。
人生の残りの1/3はそこで過ごすからです。できるだけ気持ち良く仕事ができる場所でなくてはなりません。
上の写真を見ての通り、部屋の壁全面が「松花堂弁当」のように私の作ったものでぎっしり詰まっています。
左面は現在作りかけのチェロ、壁にはバイオリンの工程分解図、楽器を真半分に切って内部を見る事が出来る本物の
楽器もあります。普通、板の厚みは見る事が出来ませんが、これなら断面が見えるので板厚の状態が一目瞭然です。
私オリジナルの「バイオリニストの椅子」は渦巻きや駒の形をした背もたれが付いた椅子で弦も4本付いています。
右側面は作業台、この作業台は23年前にマンションの一室からスタートした「バイオリン工房クレモナ」を支えてくれたものです。
材木屋に行ってシオジの厚板を買い自作したものです。その作業台の上には作り始めたマンドリン、写真では見えませんが
作業台の前は窓ガラスがあり庭の緑が見え、季節の移り変わりを感じ取れます。冬の今頃は太陽の光が工房の中まで
いっぱい入ってきます。
奥の壁面は自作の棚があり、昔飼っていた2匹の犬の写真を張り付けた開き戸があり、床のデザインと同じ模様です。
棚の上左に見えるのはパガニーニの肖像画です。10年ほど前に私が模写したものです。
極めつけはオリジナルの床です。もっと書くことはありますが、自慢はこれくらいにしておきます。
作りかけのチェロは来年4月22日の大阪中央公会堂での関西弦楽器製作者協会の展示会に出展します。 作り始めたマンドリンは来年10月の東京での弦楽器フェアに出展します。 2017年11月10日 ニカワ壺とニカワの筆
年季のはいったニカワ筆 ニカワ壺とアルコールランプ
接着剤のニカワは楽器製作には欠かせないものです。私は多くの楽器を作りますが、それ以外に時間が空いた時には
日曜大工が趣味です。自分の使う机や椅子やスピーカーボックスを作ります。これらの接着剤にはみなニカワを使います。
今使っているアルミのニカワ壺は3個めのものです。陶器製のものや電熱器のはいったものを使いましたが、
現在使っているアルコールランプで温めるものが気に入っています。ニカワの筆は5本あります。そのうち常時使うのは
毛の色の白い3本の筆です。毛の黒い2本の筆には、ほかすにほかせない愛着があります。
一番すり減ったニカワの筆は1980年代に使っていたものです。来る日も来る日も毎日楽器ばかり作っていたので
ニカワの筆も動物の毛の部分だけでなく木でできているにぎりの部分まですり減っていきました。
その頃はまるで風神か雷神のようにしゃかりきになって楽器を作っていました。接着の時などはその筆で、風の吹きさらすなか、
大量の落ち葉を掃除する竹ホーキのようにすばやく作業をしなくてはなりませんでした。
1981年 仕事場兼住居6帖ひと部屋、共同トイレ、シャワーも風呂も無し、家賃1ヶ月3,500円 |
1980年代は私の生涯で最も多くの楽器を作りました。白木のバイオリンの材料をもらい、ニスを塗る前段階まで作り
1本2万円の賃金で毎月2本くらい作りました。年間で24本を5年間は続けました。ということは120本は作ったことになります。
その後、少しずつ作る数は減り、ちょっとづつ自分の売る楽器の値段が上がっていきました。
現在ではその頃の楽器と比べると品質は良くなりましたが、値段は上がり1本100万円となっています。 昔は時間に追われて毎日楽器を作っていたので、楽器を作るたびにこんな時間に追われて粗い仕事ばかりの バイオリンを作ることは常に早く卒業したいと思う日々でした。 毎月2本のバイオリンを5年間も作り続けるのは結構大変なことです。しかしその頃の私は何の貯えもなしに イタリアに行ったので、生活費を稼ぐこと、家賃を払うことがすべてでした。 楽器が売れて、少しお金がたまると釣りや自転車やカヌーににお金を使ってしまい、なぜか充実はしていましたが、 いつもお金がなかったように思います。 このすり減ったニカワ筆を見るとその時のことが思い出され、そこには愛着もあり、なぜか捨てることができません。 日本に帰ってからは自分の納得した楽器を作ろうと音質に関係する箇所は時間をかけて丁寧に作っています。 あと何本のニカワ筆とニカワ壺を使うのかなどこの文章を書きながら思いを巡らせました。 上の写真は私の親方、ジョ・バッタ・モラッシーの工房です。第1号チェロ完成1984年4月 モラッシー50歳、私30歳。
2017年11月6日 新たなチェロ製作
11月5日東京の弦楽器フェア無事終了しました。その夜、500kmを走り大阪に帰ってきました。
スバルインプレッサも快適に走りました。明日からは来年の4月22日(日)大阪での展示会に出展するチェロを
完成させなくてはなりません。ちょうど気温も下がり、私の工房は古民家でとても寒くなるので、大急ぎでチェロを
作るには最適の環境となります。いくらチェロの荒取りを削り続けても汗が出ることはありません。
古民家は肉体労働者に向いています。
チェロ裏板と横板 |
チェロ 楓の荒取り |
上の写真のチェロ裏板は化学薬品を使わない野村式熱化学還元処理を行っているので、削っていないところは煤で真っ黒けです。
最初のうちは削っていると香ばしい匂いもします。半年後、チェロが完成した時は無臭となっています。
この野村研究所で行っている方式で材木を処理すると、音が良く鳴るように思います。
5年間試行錯誤を続けているうちにちょっとづつ音も良い方向に変わりました。しかし古いオールドものに近づくには
道のりは険しいように思います。気長に続けるしか方法はありません。
表板アベーテロッソの木口のパラフィン
モラッシーの山で採れたチェロ表板
上の写真のチェロ表板は天然乾燥のもので今年で24年が経ちました。普通材木の小口にはパラフィンが塗って
ありますが、時間の経過とともに色が濃く、変色していきます。しかしパラフィンのおかげで材木のひび割れは起こりません。
私の親方、モラッシーの山で採れるアベーテロッソは木質がやわらかい割に、なぜか重量が重たいです。
25年も経っているから水分は蒸発しているのに、木自体が生まれながらにして重たいものとしか考えられません。
この重たい木は高音が良い音がするように思います。今になって思うと日本に帰国する25年前、材料を出世払いで
売ってくれた親方モラッシーには感謝の気持ちがふつふつとわいてきます。明日からは朝早く起きて仕事を始めます。
2017年10月27日 ギター完成
今年の5月から奈良の丸山氏のギター工房で作り始めたギター5ヶ月半かけて完成しました。
弦楽器フェアのギターブースに出展します。試奏会も出展します。今年はバイオリン、ビオラ、チェロ、ギターを出展
します。この4本を一人で手に持って、東海道新幹線に乗るのはちょっと危険です。長時間の車運転となりますが、
私の愛車インプレッサに乗って東京へ運びます。
スバルちょっと心配。前の車もスバルやったのに。。。。これからはちゃんと検査して!
上の写真はギターのラベルです。クラシックギター第一号なのでまだラベルはありませんでした。
時間がなかったので、手書きで作りました。
36年前にペルージアで作った3本のバイオリンも手書きのラベルでした。印刷したのはクレモナに住んでからでした。
私の行動は何年経っても何十年たっても同じことを繰り返していることをラベルによって発見しました。
2017年10月14日 バイオリン・ビオラ・チェロ完成
11月3日〜5日開催の東京の弦楽器フェア出展楽器3本が完成しました。バイオリンはグアルネリ・デル・ジェズモデル。
ビオラはストラディバリモデルで、41.3cmです。チェロはストラディバリモデルです。
ぜひ会場で試奏してみてください。3本とも地下のサイエンスホールで行われる試奏会にも出します。
今年はこのほかに、ギターを1本出展します。ギターは現在ニスを塗っています。予定では10月28日に完成します。
赤松に吊るされた弦楽器 |
灯篭とバイオリン |
2017年9月20日 白木バイオリン完成
今年11月に開催の東京での弦楽器フェア出展の白木バイオリンとビオラ完成しました。私は毎年このフェアにバイオリ
ン・ビオラ・チェロを出展しています。そして今年もバイオリン・ビオラ・チェロの試奏会にも参加します。会場の科学技術
館地下のサイエンスホールで行われる音の弾き比べ試奏会です。私は20数年間毎回続けてこの試奏会に出展参加
しています。
毎年ニス塗りの段階に入ると、どんな音が試奏会の会場でするのか気になります。この時期になると、もう1本作り
なおすには時間がないので、これらの楽器を完成させて今年の楽器はこんなものが出来ましたと披露するだけです。
私の製作した楽器は製造直売なので、このサイエンスホールで自己宣伝する方法が最適です。
ある意味、これらの楽器の出来栄えの良し悪しが私の楽器製作の仕事が続けられるかどうかが直結していて、私自身
には大変緊張感のあるイベントでもあります。長年これを続けていると私の作る楽器も少しづつよく鳴るようになった
ようにも思います。
この試奏会があるから多くの楽器を作り続けているのだと思います。つまり展示会に育てられたとも言えます。
2017年8月13日 チェロ完成 +あおむし+カラスアゲハ
チェロが完成しました。私は長年、日本画や西洋絵画の鑑賞が趣味です。また油絵も自分で描いたりします。
バイオリンのニスと油絵に使う絵具はほぼ同じ材料でできています。両者の違いは顔料の量です。油絵具は不透明
になって下地のカンバスの色が見えなくなり、色そのものが表面に残らなくてはなりません。かたや楽器のニスは
透明であり、表板なら針葉樹の年輪、裏板ならカエデの虎杢がはっきりと見えるくらい透明感が必要です。
しかし、無色透明ではなく黄色、オレンジ色茶色などの色も見えて下地の木の美しさを見せる事が重要とされています。
両方とも主成分は亜麻仁油です。
最近は自分の作った楽器には自分の好きな色を絵を描くのと同じように塗ればいいと思うようになりました。
西洋絵画にはスフマートと呼ばれる技法があります。これは輪郭線をはっきり描かず霞のようなぼけた感じで色と
色が移り変わる技法です。
今回のチェロはできるだけ多くの色を使いできるだけ色の濃淡をつけるようにしました。絵を描くのと同じように
そこには個性が出てくることを発見しました。油ニスを作る時の顔料の多い少ないや、柔らかい刷毛や硬い刷毛を
使うことによって、仕上がりの印象が大きく変わることにも気づきました。ニス塗りは今までより楽しくなりました。
ウイキョウで育つキアゲハのあおむし |
ウイキョウの花 |
今年もわが家の庭では蝶が卵を産み付け、いろんな植物にあおむしがついています。すでに数匹のキアゲハはさなぎ
となりその後羽化してどこかへ飛んでいきました。来年、また卵を産みに戻ってきます。我家の庭では毎日ひらひらと
色々な蝶が飛んでいます。
今年は珍しく鉢植えのはっさくの木にカラスアゲハのあおむしが住んでいます。上記の写真のキアゲハは珍しく
ウイキョウの葉を食べています。蝶を呼ぶためにパセリ、レモン、山椒などをせっせと育てています。今も目を凝らして
よく見ると仁丹のような直径1mmほどの卵がいっぱい付いています。ゲリラ豪雨が降っても落ちることなくすくすく
育っています。
蝶は飛んでいると羽の裏側の様子など見る事はありませんが、写真で撮ると見事な模様が浮かび上がりました。
上左のあおむしはカラスアゲハです。この緑色から深い黒光りした美しい蝶に生まれ変わる自然界の営みは毎年
見ていても感動ものです。